【前回記事を読む】橋の下に無数の棺桶を安置して、人間が土に還る最後のエネルギーで橋のあかりを灯す…米国の研究チームのアイディアだった。
第三章 さようなら、ホモ・エコノミクス
【クマくんの、もうちょい検索メモ】
[② ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946年)]
■経済理論には、普遍性を求めるという美名の陰で、現実世界を見失う傾向がある。経済学は無限の多様性と複雑性を有している。ケインズは、社会は自然科学のように分析できないと悟り、人間の日常的な営みの内面を観察し、解釈する道を選んだ。
■巷のコミュニケーションや素人判断の積み重なり(ポピュリズム的な大衆心理)が、恐慌やバブルを生む。彼は、確固たる人間をモデルとした個人主義や自由主義に限界を感じていた。
■私有財産権者の利己心は、フェアプレイの精神や社会全体の富裕化に反するかたちで表れてしまっている。
まず、資本の利回りを追求する「資本家」と、実物資本を動かす「企業家」を分けて捉え、その内で、顧客に喜ばれなければ、労働者の能力を活かさなければと倫理的制約を持つ「企業家」の自由競争を公正に確保する必要がある。
■利回りなどを追求する投機資本主義が、事業経営者の判断を鈍らせるほどに支配力があるならば、「資本家」=金融に主導権を渡してはならない。そうした思いが為政者の立場にあるケインズのさまざまな政策提言につながった。
*ケインズは、最大の経済悪は、危険・不確実性・無知という。現在も、VUCAの時代と言われるが、不合理を含んだ人間の集合体こそ、なによりも不確実の諸元だと感じていたのだろう。
*ケインズは生前から、理論化や定式化に軸足を置くマクロ経済学や計量経済学には批判的だった。理論化しにくい「不確実性」への複雑課題が、しばらくのあいだ、経済学から置き去りにされたが、現在では、それを含めた研究が興隆している。
[③ フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(1899~1992年)]
■社会という複雑なシステムをいくら観察し、研究したところで、そこに働いている因果関係をまるごと認識・理解することなどできない。世の中には、人知を超えたものがある。誰も全体のしくみなど理解していないが、うまく機能している秩序もある。
ハイエクは、「市場」もそうした人知を超えた秩序の一つであると考えた。
■人間の知識は、不完全である。断片的な知識しか持たない人々が、自由に知識で競争し、また相互に知識を発見し、そこに価値づけの分類が起こり、秩序形成に至るのが市場だ。彼は、市場を人間による「知識の集散と創発の場」と捉えていたようだ。
■こうした自由を、政府が設計主義的合理主義で押さえこんではいけない。人間が頭で考えたことより、自然に形成された自生的秩序を信頼すべきとした。
■それでもハイエクは(人知を超えた)市場を理解しようとした。市場経済の本質は、社会思想全域でしか捉えられないと考え、次第に「人間の物語」へ思索の領域をひろげていく。
■彼は、自由放任主義者ではない。慣行や倫理的習慣も含めた法(道徳的価値観)の下で、自由な競争を行うべきで、政府はまったくなにもするなと言っているわけではなく、通貨発行管理や公共投資は必要としながら、規律のゆるみや慢性化を指摘している。
*フリードマンは、師ハイエクの「市場の調整機能こそ善」であるという表象を単純化・特化してスローガン化し、その主張による権威獲得に向かい、ハイエクの、人間や社会への洞察を置き去りにしてしまった。