第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉
二 「伝えたい事実(できごと)の真実(こころ) 」
その六 喜びと悲哀
② 悲しい選択
昭和四十八年七月、授乳中は妊娠しないと言われていたのですけど……長男を生んで一年もたたない内の妊娠でした。子供は授かりものです。「生命」の大切さを教えられ育った私です。産みたいと望みました。
当時は職場も制度的に今のように恵まれていませんでした。産休明けは子供を見てもらうことが大変な時代でした。義母は寝付いていました。今度は人手がありません。経済的にも育てるのは大変だと言う彼の言葉に断念したのでした。
その義母は二カ月後の九月に亡くなり、続いて翌年の三月に私の父が亡くなりました。
丁度父が亡くなった頃、次の子を宿していたのです。少し出血がありました。前にも経験していたので、あまり気にもとめませんでした。四カ月に入り出血がひどくなり、産院に行くと、切迫流産の危険があると言われ、「産むのなら絶対安静にする必要がある。産まれるまで入院しなければならない。それでも大丈夫という保証はありません」と告げられました。
私は、もし、子供自身が生命力、生まれ出る力を持っているなら、生まれて来てくれると、心の中で願い言い聞かせながら、流産止めの点滴を受け仕事を続けました。
しかし、四月下旬大量出血したのです。レバーのような血の塊でした。緊急入院しましたが五カ月での流産となったのです。
五カ月に入った胎児は陣痛があるのです。その陣痛は、やはりとても弱いものでした。なかなか生まれてくることができなくて、随分長い時間がかかりました。やっと、まるで「石がコロン」と落ちたような感じで、悲しい結末でした。男の子、死産でした。