静かな昼食会になった。マヨネーズを塗りたくったターキーサンド、BLT に加え、ブリーチーズサンド、サイドディッシュに、ケシの実がふんだんに入ったパスタとマッシュルームのサラダ、それにポテトチップス。これを黙々とコーラで胃に流し込む。
何が原因でこうなったのか。もう誰も問う者はいなかった。「わざわざ飛んで来たかいがあったな」、ポツリと同社のSh部長が漏らした。が、お礼は無かった。その時は。
Consent letter(同意書)のCopyを持って、何ごとも無かった様に静かに去って行った。営業部長と担当者が気が付いて、慌ててエレベーターホール迄見送りに駆けつけて来たが、平身低頭に挨拶する彼等に、一行はバツが悪そうに、「もう済んだことだから」と言いつつ、馬小屋の様なエレベーターの扉の向こうに姿を消した。
米人担当者を労い握手をすると、自分はそのまま早速捕獲されて支店長室に連行された。
「説明しろ」、と言われても、説明できるものではない。
「雨降って地固まった」、ということ以上話すことは控える自分を前に、支店長始め彼等も匙を投げた形で終わった。そんな形で終息したので、逆の立場になれば、成り行きに依ってはそれ相応の覚悟をしていたのかもしれないと、彼等への同情の念さえ頭を擡もたげ始めていた。
部屋を出る時に、
「もう君は、お客さんの前に出せないな」と呟いた支店長へ、返す言葉も見当たらなかった。
その日のうちに、D Bankへお礼に訪問し、心よりの感謝とお詫びをし、夕刻にはエリックとWinter Gardenのあの時のSfuzziで、何時ものSquidのフリットとビールで乾杯した。それ以降、自分の採り上げるAgent案件のattorney(弁護士)には、彼を必ず指名することになった。
その後、営業部は同商社のNY支店に何回も失礼があったことを詫びたらしいが、何も背景を知らない同社の人々は只々困惑しただけであったと言う。
“Drive your Engine clean!!”とのエクソンのMTBEのラジオ宣伝が広く聞かれる様になったのは、丁度その頃である。
暫くして、銀行団を率いてHoustonにあるMTBEプラントへのSite Visit(視察訪問)をする機会があった。改めて、完工したプラントのinspection(実地検査)を行うとの目的だが、その際に社長のボブより、Frederic Remingtonの“荒馬乗り”のブロンズ像(2)を贈ってもらった。謂く、
「あばれ馬のSh部長を乗りこなすのは大変だったろうね」と。
今は自宅の本棚に置かれて、時々当時を懐かしむ。そのSh部長は本プロジェクトの成功もあって、目出たく役員に昇進した。権限逸脱の件は全く漏れなかったことの証拠でもある。
数ヶ月後に一時帰国した際に、Sh部長に宴席に招かれ、内情を知るとり巻き4、5人と共に料亭でご馳走になり、銀座のクラブで遅く迄付合わされた。どうも、これが、お礼とお詫びのつもりだったらしい。
「いや~、よくやってくれたヨ」、とだけ。
人は、現実をエゴや願望というスクリーンを通して見、認識し、自己保存を図って生きて行く。
(1)因みに、秘書は察しの良い、気働きの利く黒人のシングルマザーであった。
(2)その同じ像が、トランプ大統領(1期目)の執務室に飾ってあるのを、後年発見することになるのだが。
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