「まさか、がんになるとはなあ。俺には貯蓄がないし、がん保険にも入っていない。このまま何もしなかったら、無駄に死ぬだけだ。がんを告知されてから入れる生命保険はあるのか?」
山本はそう言ってウーロン茶の入ったグラスに口をつけた。医師の指示に従い酒を控えたようだ。
「残念だけど、がん患者が入れる保険は少ないと思うぞ」鈴木が言った。
「ただな、若い時分に傷害保険には入っているんだ。その死亡保険金の上限が三千万円だったはずだ」山本は禿頭を撫でた。
「しかし、もしがんで亡くなったとしてもその保険金はもらえないだろう?」市瀬が聞いた。
「そこでふたりに相談だ」山本は声を潜めた。
「俺が大工仕事をしているときに事故で死ねば、保険金が下りる。つまり、事故に見せかけて自殺するんだ。ことがうまく運ぶように手伝ってくれんか」山本の言葉に、市瀬も鈴木も驚いた。
「おいおい、早まるなよ」市瀬がたしなめた。
「そうだよ。いくら末期がんといっても、いまの医療なら寛解する可能性がゼロじゃないんだから」鈴木も市瀬に加勢した。
「何があっても、保険金をだまし取るなんて考えないことだ」市瀬は瓶ビールをグラスに注いだ。手が震えていた。
山本は口を真一文字に結び、セカンドバッグからふたつの封筒を取り出してテーブルに置いた。
「もちろん、手伝ってくれたらそれなりの謝礼は払う。ひとまずここに三十万円ずつ包んである。どうか受け取ってくれ」山本が真剣な表情で言った。
「つまらんことを言うな!」市瀬は怒鳴った。「金の問題じゃない。仲間の俺たちがそんなことに手を貸せるわけがないだろう」
鈴木も「この話は聞かなかったことにするぞ」と言ったが、山本はふたりの手に強引に封筒を握らせ、店を出て行ってしまった。
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