【前回の記事を読む】「先生、私、後何年生きられますか?」ステージ4の「虫垂がん腹膜播種」…抗がん剤による治療法で5年生存率は10%以下…

妻の笑顔

何回か他の病院にセカンドオピニオンも申し込んだ。どの担当医師からも全て否定的見解が示された。

只、四国の高知病院だけ自由診療で治療に応じてくれた。

息子の車で家族3人6時間掛けて高知迄行った。

しかし、治療の成果は得られずに40日後の10月27日に奈良の天理病院に舞い戻る事となった。

ここには、利恵子の容態が急変した亡くなる20日前から1週間前頃と、最期の2日間の様子を書き留めておきたい。

(すべて2024年)

・11月3日から14日まで

11月3日(日)

この日の息子へのライン。

「お母さんどうや? やっぱり痙攣しているのか? 付き添い疲れの最中にこんなライン送ったら又お前は苛つくかも知れないけど、まぁ聞くだけ聞いてくれ。

これも前に言ったけど、俺は、矢張りどう考えても高知病院は失敗と言うか、少なくとも成功したとは思えない。

確かに杉山先生の医学的見解は正しいのかも知れん。

成程、彼の理論はもっと軽症と言うか重症ではない患者には当て嵌まる。

しかし、8月27日に局麻2箇所(ポート、尿道ステント)、全麻(エバキュエイター)計3箇所手術。

9月11日に全麻(小腸ストーマ)。

手術前から寝た切りのお母さんの状態で全部で4回手術している。

自由診療の為に、身動き出来ないお母さんを抱え込んで車椅子に乗せてホテルと病院を出たり入ったり。

これだけでも、お母さんの体力が消耗するのは火を見るよりも明らか。

抗がん剤も効果無し。お前はそしたら他に方法があったのか、と言う。

それを言われたら他に無いとしか答え様がない。けど、何か、も一つ気持ちがスッキリしない。

天理でも高知病院でも結果は大して変わらない。

お母さんは天理での内科処置でも今位迄生き延びているかも分からない。

だとしたら、しんどい思いをして四国迄行かなくても、天理のままでも良かったのかな、と、ついつい思ってしまう。

何もお前のせいだと言っているのではない。高知の病院での治療は、俺も一緒に同調してやった事だから。

これを書いている時に今、ふと思い出した。

高知のビジネスホテルで、お母さんと二人でツインベッドに寝ている時、お母さんは俺に「私、旅行で行きたい所に全部行ったから、もう良いわ」とポツリと言ったのをはっきりと覚えている。

俺は胸が詰まって何も言えなかった。

只、本当にあの決断で良かったのか? 自問自答しているだけ。」