一つ一つは些末な欠点に過ぎないが、これらが全部集まると、とても使いにくい。このガステーブルをプロの調理人が使わねばならないとしたら、気が狂うのではないか。
筆者も、このガステーブルを導入した直後は気が狂いそうになり、二〇万円近い導入コストを捨てて(いわゆるサンクコストを捨てて〔元を取ろうとするとかえって損するという経済学の教えにより〕)以前に使っていたようなシンプルなガステーブルに再変更することを企図した。
ところが、調べてみると、ビルトイン型のガステーブルの世界では、筆者が期待するような、温度センサーを用いないシンプルな商品はすでに時代遅れになっており、市場に存在しないことが判明してしまったのである。だから、筆者の悩みを解消する方法は、通常ないことになる。(お金をたくさんかければあるだろうが、筆者にはお金がない。)あきらめるしかないのである。
これが時代の進歩というものなのか。それでいいのか。筆者が直面する悩みは、時代遅れの老人のグチに過ぎないのか。新しいガステーブルに慣れていくことが、家庭の料理人として望ましい道なのか。
『社会契約論』でおなじみのルソーは、徒弟奉公していたときにジュネーブの町を出奔し、以後、貴族の婦人をパトロンとし、浮草のような生活を送った。一種の不良少年だったと言ってよい。そうした彼が身を立てるきっかけになった『学問芸術論』の骨子は、学問や芸術の進歩が人間をかえって駄目にしている、というものだった。