【前回の記事を読む】旧海軍兵学校の流れを汲むY高校の夏休み。その音楽室には野営のような執筆生活を送る三十路前の男が…

第一章

二〇〇〇年(平成十二年)十二月二十七日

アメリカ合衆国上院議会は、時の大統領ビル・クリントンによる弓手(ゆんで=左手)の署名を得て、米政府が厳密に保管する太平洋戦争中の旧日本帝国の戦争記録の開示を定めた「日本帝国政府記録情報公開法」を成立させた。

それに伴い、米国国立公文書館の文書記録管理局(通称NARA)は太平洋戦争関連の膨大な軍事資料を再収集。それまで封印されていた米日機密軍事情報が紐解かれ、いまでは人口に膾炙(かいしゃ)する軍機密事項が、次々と白日に晒されていった。

「日本の機械式暗号機は、すでに一九三〇年代には米国の手中にあり、四〇年代に入ると解読が進み、日本の外交通信・機密文書の一部はアメリカ側に筒抜けとなっていた。また米政府は、それらの暗号をニセの情報として逆利用し、意図的に〝撒き餌〟として流布していた可能性もある」

「原子爆弾投下は、その破壊力や放射能の影響を検証する〝科学実験〟としての側面もあり、投下候補地には、都市の形状と機能が保たれ、山で囲まれ、しかも都市機能が完全に残っている広島や長崎、小倉、新潟など複数都市が選ばれ、投下された原爆は、破壊力の比較のために異種の爆弾(広島はウラン型・長崎はプルトニウム239)を使用した」

「二百万人規模の日本本土上陸作戦〝ダウンフォール作戦〟の策定は、一九四五年(昭和二十年)の初頭から始まり、その後の戦勝国の統治計画〝ジャパンプラン〟と呼ばれる日本敗戦後の具体的な〝分割統治〟(北海道と東北はソビエト連邦が、関東・中部、福井県を除く北陸と三重県付近はアメリカが、四国は中国が、中国地方と九州はイギリスが統治。現在の東京二十三区は米・英・ソ・中の四カ国が、近畿地方は中国とアメリカでそれぞれ共同管理)の立案も進んでいった……」