【前回の記事を読む】妻の形見の猫。しょっちゅうエサやりを忘れていると、風呂場の溜まり水を飲むようになり…
緑川次衛門氏のあした
前は一日に一回、しかたなくアイアンの為と思っての散歩だったが、今は朝晩の二回になり、難なく行けている。気づくと彼は、すっかり元の彼に戻っていた。
歩くことは健康に良いとよく聞くが、次衛門氏は自分でこのことを証明したようだった。
アイアンと散歩していると、今まで話したこともなかった近所の若い奥さんから話しかけられ自分でも思いがけなくドキドキしたり、犬が共にいなければ出来なかっただろう子供の側に行って気楽に話せたりもした。
犬を連れた犬仲間から犬の病気や飼う上でのちょっとした注意なども教わったり、日常のぐちを言い合ったりもした。
次衛門氏の両親は子に頼らず田舎で二人で生活していて、でも淋しいと最近犬を飼い、田舎に帰ると次衛門氏は犬を散歩させる役を引き受けていた。
父と一緒に散歩をした。田舎道だったので犬がもよおす時、畑のあぜ道にまあいいやという安易な思いで、そのモノを置き去りにしたことが次衛門氏にはあった。
しかし自宅の私道の先に同じモノを何度かされ、初めてそれは自分の問題になった。あぜ道だとしてもそこにそのモノを見つけた時、誰でも嫌な気がするだろう。
人は自分が受けることでその深刻さを知るみたいだ。それで次衛門氏は今、アイアンと散歩に行こうとする時、必ずアイアンのモノを取る掴みばさみと袋を持ち、また、臭い消しにと水をペットボトルに入れて持った。
散歩を続けていると、人前では持ち帰るふりをしながら隠れた場所にそれを捨ててゆく心ない飼い主を見た。そんな時は自分の内にもある嫌らしさをそこに見たようで、そういう日は一日中、心がすっきりしなかった。
早朝の散歩も会社を終えての散歩も少しパスしたい日もあったが、人との出会いのメリットと、何よりアイアンの唸り声が次衛門氏に散歩を続けさせた。
娘たちも父親任せにせず、結構帰宅して、食事作りや猫犬の世話も代わってした。
結果、この頃では妻のいた時より次衛門氏は娘たちと話すことが普通になってきていた。その時の話題は大体が我々のおかあさんの偉大さに終始してはいたが。
そんな中で次第に、妻は次衛門氏の心の中の人になっていった。
夏日の日曜日は、天候を見ながらではあるが、次衛門氏は彼ら二匹のシャンプーの日とした。ノミ取りシャンプー剤を丁寧につけ、一匹が終わると少し休み、もう一匹に。
しかしこの作業で特に二匹を一度にするのは大変で、これは後に、それぞれの専門家に連れて行くことになった。どちらか一方だけに、は、次衛門氏はここでもこだわったのだ。