白骨街道
一週間後、クワマンさんとカレーミヨの空港で現地集合した。
カレーミヨはヤンゴンから七百四十キロほど北にあるインドの国境に近い山岳地帯だ。
インド側のインパールから見るとミャンマー側の南東に位置しており、インパールとの間に横たわる三千メートル級のアラカン山系がある。この密林で三万柱の日本兵の屍が折り重なったと伝えられるのが白骨街道だった。
現地の通訳ガイドは、元明神新聞写真報道部でミャンマーのあちこちをバイクで回って撮影された川田さんの紹介だった。紹介された通訳ガイド氏は少し大きいスクーターのようなバイクで現れた。彼はチン州に暮らす山岳少数民族のゾミ族だった。
彼の名前は僕たちには発音するのが難しかったので、僕らは彼を「ゾミ君」と呼ぶことにした。ゾミ君は立派な体格と褐色の肌を持つ敬虔(けいけん)なクリスチャンだった。
現地合流した三人は町の市場を練り歩いた。クワマンさんは、道端に並ぶ食材をあれやこれや寸評をしてくれる。彼はヤンゴンの路上で売られている生魚を自宅に持ち帰り、三枚に下して食べることのできる野性的な男だった。
やがて僕は、黒焦げの肉らしい食材が売られているのに気付いた。最初は何の肉だかさっぱりわからなかった。よく見てみると、焼き芋くらいの大きさの真っ黒な肉にはしっぽがあり、それで丸焼きのネズミだとわかった。
ほかにもそれより大きめだがやはり黒焦げの肉があり、こちらには小さな手のようなものが見える。骨の大きさと形から、その肉片が猿だとわかるまで流石のクワマンさんでも時間が掛かった。ネズミと猿の丸焼きを売っているオバチャンは、僕がこれまで会った人のなかでは最高レベルに野性的な人だった。
ひとしきり歩くと、ゾミ君は近くに寄りたい場所があると言い、皆で行ってみた。その家屋は結構広かったが、古い木とブリキのようなトタン屋根の簡単な造りだった。なかは照明が少なく暗い。奥からゾミ族の伝統的なロンジーを着たお婆さんが出て来られて彼女の満面の笑顔がその場を明るくした。