当時は養護学校と言っていたが、文部科学省が二〇〇七年に「(特別)支援学校」と名称を変更した。支援学校とは、障害を持った生徒たちが通う学校のことだ。
そして、訪問学級とは、重度の障害や病気のために支援学校に通えない生徒のために、教師が週に数回家庭を訪問し教育的なサポートをすることだ。ここでは当時のままの養護学校と言わせてもらう。
下原先生との出逢い
ここでもカンナ様の運の良さ・強さが発揮されたのだ! 振り返れば校区の学校に行かなくて大正解だったと心の底から思う。下原ミサヲ先生という世界一素晴らしい教師に出逢えたからだ。
下原先生は、世界一教育熱心で知的で上品な教師だった。もちろん、下原先生も私の“偉大なる人たち図鑑”に載っている。
一口メモだが、先生は姉の通っていた女子中等高等学校の大先輩だった。世間は広いようでとても狭い。下原先生は訪問学級小・中学部での十二歳から十五歳の約四年間、私を教えて下さった。
週にたった二回、一回二時間の訪問教育だったが、先生は精一杯いろんなことを教えて経験させて下さった。先生との勉強は、あまり外に出られない私のために体験型学習が多かった。先生はいつも重い荷物を背負って、夏の暑い日も冬の寒い日も春も秋も電車とバスを乗り継いで来てくれていた。
次回更新は12月21日(日)、18時の予定です。
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