【前回の記事を読む】このクマ、何かがおかしい…! 友人の形見としてぬいぐるみを受け取ってから、日常がじわじわと狂い始める——
夭逝の願い 藤原 基子
「や、やだ……なんで間違えちゃったのかしら。私寝ぼけてたみたい」
誤魔化す由利香をよそに、一華はクマの『イチカ』を見つめていた。一瞬、麻衣が隣に座っていたように見えたのだ。
「お母さん、私、早く学校に行くんだった」
朝食もそこそこに、一華は家を出た。少しでもクマのイチカと距離を置きたくて。そんな一華の気持ちを裏切るように、由利香は『イチカ』を胸に抱いて、見送りに出てきた。
ぬいぐるみの腕を取り、一華に「いってらっしゃい」と手を振る由利香の笑顔は、少し不自然だった。
学校に着き、授業が始まっても腹痛は治まらない。手で腹を押さえると、ぐじゅりと熟れた果実を潰すような感触がする。
「大丈夫?」と声を掛けてくれる友人達の間に、青白い麻衣が見えた。金縛りの時の様に、はじめは遠くで。時が経つにつれ、麻衣は近づいてくる。
腹痛は徐々に消えた。その代わり、真横の目の端に麻衣の姿が見える。身体が重い。足を運ぶ毎に自分のものではない髪の毛が頬に触れた。やっとの思いで自宅に到着すると、玄関には麻衣の母親の、瑞江の靴があった。
***
「こんにちは」と言いながら、一華は驚きそうになるのをぐっと堪えた。数週間ぶりに見た瑞江は、白髪が増え、頬が痩け、目だけがぎょろぎょろと目立っていた。
「一華ちゃん久しぶり。麻衣の葬儀の時は、ありがとうね。元気だった?」
瑞江が話しかけてくるが、あまりの豹変に一華は居た堪れない気持ちになる。視線を落とすと、瑞江の手の中にクマの『イチカ』がいる。
一華の目線に気付いた瑞江が、『イチカ』を目の高さに上げた。
「この子、可愛がってくれてありがとうね。麻衣も喜んでる」
麻衣がいた時と同じ表情の筈なのに、瑞江の笑顔が怖かった。