父はその日の夕食時に「徳三郎、お前も本来ならば、家来としての若党と中間を持たなければならないところだ。今は芳蔵がいるから、必要な時は彼が助けてくれようが、そのうち適当な人物を見つけなければならないな。それまでの間、熊吉を小者として使ってやるがよい」 と言った。
武士は若党(私的な家来である武士)と中間と小者の少なくとも三人の従者を抱えることになっていた。父には宮下準之助という若党と中間の芳蔵がいたが、小者は留守宅の家族の世話をさせるために彦根に置いてきたのだった。
中間(ちゅうげん)とは若党と小者の中間(ちゅうかん)に位置するものということである。盗人だった熊吉を中間にするわけにはいかなかった。
のちに熊吉から聞いたところによると、父はもっぱら熊吉に盗人稼業のことについて、聞いていたらしい。どういうところに足を運んだか、どんな連中の懐を狙ったのか、武家の屋敷ではどこが侵入しやすそうだったか、などいかにも楽しそうに聞くので、熊吉も洗いざらい経験したことを語ったらしい。
悪事の数々をいい気になってしゃべっているうちに、ふと気付いて、父は彼にしゃべらせるだけしゃべらせて、それを証拠に役人に引き渡すのではないかと、心配になったほどだった。
ところが、父が徳三郎の身辺の雑用をする小者に使ってやろうと言ってくれたので、涙が出るほどうれしかった、と熊吉は言った。
父にどんな考えがあったのか知らないが、時折「徳三郎、熊吉を借りるぞ」と言って、熊吉を数日何かの用事に使っていた。時には三日も彼が帰ってこないことがあった。
こうして始まった徳三郎の小姓生活も五年を過ぎた。
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