でもその日は何も起こらなかった。それどころか不思議なことにあれ程毎日しつこく来ていた電話もメールもピタッとやんだの。彼の姿を見ることもなくなった。
でも私は逆に怖くなった。あの男が私のことを諦めてくれたのならいいんだけど、油断させておいて突然襲おうと計画しているんじゃないかと思うと夜も眠れないの。かと言って一人であいつの家に行くのは怖過ぎる。
さっきは麻利衣の激励会って言ったけど、ほんとはこのことをあなたに相談したくて連絡したの。ごめんね。でもあなたの話を聞いていたらやっぱりその探偵に依頼して、彼が今どんな状況なのか確認してもらおうと思うの。ねえ、私をその探偵に紹介してくれない?」
麻利衣は先程までのあっけらかんとした様子からは親友にそんな恐ろしいことが起きていたなどと思いもよらなかった。元々プライドの高い千晶はこんなことがあっても容易に他人に弱みを見せようとしないからだろう。
「いいけど……あの人本当におかしな人なのよ。ちゃんと対処できるかな?」
「じゃあ決まりね。明日の朝待ち合わせしよう」
そう言うと千晶は会計を済ませ先に帰ってしまった。
「あ、ちょっと……大丈夫かな? 悪い予感がする……」
麻利衣はウーロン茶の最後の一滴までストローをジュルジュル言わせながら飲み干した。
「へえ、ここなの。随分立派じゃない」
3月16日翌朝、千晶は高層マンションを見上げながら言った。
眼鏡店に行く時間がなく、相変わらずひび割れた眼鏡をかけた麻利衣がエントランスでインターホンを押すと昨日と同様何の反応もなくドアが開き、二人は顔を見合わせてエレベーターで最上階に向かった。
「ここよ」
麻利衣が事務所のドアのチャイムを鳴らしたが、やはり昨日と同様、中からは何の返事もなくドアのロックが外れたので二人はおずおずと玄関に入った。
「あのー、ごめんください。昨日お邪魔した那花です。今日は私の友人の依頼があって来ました」
麻利衣が奥に向かって呼びかけたが何の返事もなかった。しばらくすると昨日の黒猫が尻尾を振りたてながら悠々と玄関に向かって歩いてきた。
「あ」
「やー、可愛いー。おいで、猫ちゃん」
千晶は笑顔で猫を抱き上げて頬ずりしようとしたが、猫はシャーッと威嚇して彼女の顔面に強力な猫パンチを食らわしたので彼女は「キャー」と悲鳴を上げて猫を放り出した。
次回更新は12月21日(日)、21時の予定です。
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