【前回の記事を読む】伝統的に陸上部は全員、問答無用で坊主→ただし例外は女子と、●●種目
1章 中学・高校
余談
多分Nくんは料理は得意じゃない、あまり興味もなかったと思う。けど普段あまりやらずしょうがなく作るその椎茸汁は多分Nくんの親が作った料理よりおいしいと思う。もちろん親の方が料理は上手だし味もしっかりしてると思う。けど、あの分量とかそういうもの全て度外視された結構濃いめな味付けは今でも覚えている。
高級フレンチや会員制のお寿司より、汚い中華屋の炒飯とかの方がおいしく感じるみたいな。あれって多分汚い中華屋の味の方が自分たちの舌が親しみ易いから。その味を覚えているから、慣れているからだと思う。
だから安心して食べれるし自然とそっちに足も向くのだと思う。のれんは破け床は油でツルツル、換気扇の羽に埃が乗っかってるような汚いお店が案外おいしいことが多いのだ。
全力でぶつかってみる
夏になると大会などの周りの熱も気温と共に高まり、それぞれがベストタイムを出そうと全力を尽くす。練習についていけなかった自分は土手を1人で走らされた。でもそれは意外と嫌いではなかった。チームごとに走るとペースが決まっていて、そのペースから落ちると鬼のような顔した監督からブチ切れられる。
それを考えたら1人で自分のペースで無理なくやれたので気持ちは楽だった。楽だったが、向上心は自分の中で既に死んでいて、楽しくはなかったのでタイミングを見て言いやすい時に退部しようと決めていた。がしかし、そんな自分を思いとどまらせてくれたのが『競歩』との出会いだった。
競歩を知らない人に簡単に説明すると、走ってはいけない競技だ。走るためにできたトラックの中を走ってはいけない、むしろ何度も走ってルール違反すると失格といってタイムも残らない地獄メンタルな競技。
こんな競技だったがその過酷さと地味なことの積み重ねが走る事がゆううつだった自分を笑顔で迎えてくれた。走りと違ってやればやるほどどんどんタイムも速くなっていき1年生の時に都大会に出て入賞までできた。
人生で初めての大舞台だったが緊張はなく、多分緊張の仕方すら忘れるほど必死だったのだろうか。正直1年の内でできすぎた。このままさらに速くなっていけば3年の頃には全国優勝くらいいけるだろうと本当に思い込んでいた。がしかし、2年になると課題だった歩き方で失格が増えていった。
ライバルの先輩や同級生たちもメキメキと力をつけていき抜かされていった。コーチに怒られる事も増えていった。それでもアドバイスを聞きながら、試行錯誤を何度も繰り返したが完全に良くはならず結局3年の最後の神戸のレースでも失格で終わった。その前にあったインターハイも関東大会もいけなかった。