大海を目前にして

それからの丸山家は母と祖母が珠輝のため入学に関する準備に大わらわだった。蜜柑箱が用意され必要な物をいろいろ入れてくれた。

当時の蜜柑箱は木製でかなり大きなものだった。箸箱、歯ブラシ、歯磨き粉、特に歯磨き粉はチューブ入りだ。貧しかった珠輝の家では高くてそんな歯磨き粉なんかめったにみたことはなかったのに、珠輝のために買ってくれたのだ。

叔母の智子はこれまた見た事もない液体の立派なシャンプーを買ってくれた。川村のおばさんは素敵なフランス人形をくださった。布団も珠輝一人のものを母と祖母が縫ってくれた。さすがの珠輝も子供ながら嬉しい半面何故か申し訳ない気持で一杯だった。

これを大人たちに伝えることができたなら珠輝の株も上がったろうが、世渡り下手の彼女はその術を知らなかった。

この様子を見た伯母の法子は「珠輝が学校に行けるようになってよかったなあ。この辺でうろうろされたらうちたちも迷惑たい。この間安田の大将に、『あんたはそこそこの生活をしとるが、兄弟はなんな、上はめくらで下は寝たきり、二人もかたわがいるからみっともないばい。』こう言われたうちは恥ずかしゅうしてたまらんかったばい。」

聞いた珠輝の方が子供としてもたまらんかった。ちなみにこの伯母からは何ももらわなかった。父も珠輝のためにマイト箱(ダイナマイトの入っていた箱)にラッカーを塗って中に新聞紙を敷いた美しい衣装箱を作ってくれた。

こうして準備は着々と進んでいった。家を出る数日前のこと、いつものように楽しみながら箱に手を入れるとセルロイドのキューピーさんが入っていた。驚いた珠輝が母に尋ねると、

「あんたに買うてやったとたい。」

これを聞いた珠輝は本当に嬉しかった。あの鬼の母がこんなことをしてくれたのかと思うと子供ながら胸が熱かった。既に母が鬼籍に入った今でも当時を思い出すと涙が止まらない。

やがて旅立ちの日がやって来た。その日はあいにくの小雨模様の中、両親と珠輝は家を後にした。昭和三十一年五月二十日の事だった。