信じることは、知らないことについても有る、あるいは、無いと確信することなので、私の気持ちにそぐいません。やはり知らないことは知らないとしておきたいのです。ただし、経典などに書かれていることでも、私の関心を引き、且つ、事実である可能性が高いように感じたものについては、実験をして試してみることにしています。
たとえば、「思えば成る」、「求めよ、さらば与えられん」というのは、本当か? 人間にはテレパシー能力は有るのか?といった類いのことは実験しながら、その真実性を確かめてきました(拙著『金魚』に詳述)。そしてまた、瞑想も真理探究のための実験の一つと位置づけています。
憑依体質の人から直接霊の存在について話を聞いた時は、私は、目に見えない世界が本当に存在するかどうかを確かめなければならないと思いました。有るなら有るで、それなりの生き方をせねばならないと思ったからです。それで、私は目に見えない世界に直接問うてみることにしました。
「目に見えない世界よ、目に見えない世界があるなら答えよ。有りや無しや?」
すると、目に見えない世界は答えました、有ると。私が確信できる程度の証拠を示してきたのです。それ以外にも何度か、指導的なメッセージを目に見えない存在者から受け取りました。
それで私は、目に見えない世界は随分と親切だなという感想を持ちましたし、目に見える世界や、発展途上の科学が主張していることだけが真実ではないということを確信するに至りました。
このように、私は神秘の世界についても鵜呑みにせず、また、毛嫌いもせずに関心を持ったことは、できるだけ実験して確かめてみることにしています。
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