何かしら常に考えている風であったが、それは口には出さずに、表面は談笑していた。菅などは驪城の心は分からん、と言っていたが、それは女性的な、控え目から来ているようであった。櫻井氏のような人に後援されるか、我々と一緒にいて盛に激励すればよかったかも知れぬが、一人で思い切って文壇へ乗り出そうという勇気には欠けていたと思う。
何にしても惜しい事である。私自身もあの人と一緒にいたら、も少し優しなものを書いていたかも知れぬ。僕の文章をあの人ほどに理解してくれた人は、前後に一人もない。それだから、唯一の知己を失うたという意味で淋しいのかも知れぬ。菅も逝き、彼も逝く、孤影煢々(けいけい)の感に耐えない。
(三月二十五日朝香を焚いて記す)
松原致遠
幼き頃の思い出
驪城さんの遺文集が出来るという未亡人のおしらせをいただいた。序文をかいておくれとの懇嘱もつけ加えてある。旅鞄のなかへ之の手紙を入れて出かけた私は、いま北陸線の車中でこの一篇をかきかける。
驪城さんの亡くなられたことは、思いがけないことであった。そして、そのお知らせをうけとったのはすでに荼毘(だび)の煙の立ちのぼるころであった。ほど近い京と大阪にすみながらお互いにいそがわしくて、ゆっくりと語り合う機会も少なかった。
しかし、たまに逢うとみじかい時間でもしんみり話せるわれらであった。いつも逢いたい逢うてしみじみと語り合いたい、こんなに念じていたので、亡くなられたおしらせを手にしたとき、まだ話しの終わらないうちに別れたような心残りがしてならなかった。
せめては一度だけなりと病床を見舞うておきたかった。せめては最後の葬の式に香を焼いて名残を惜しみたかった。しかし、それすら、できなかった、われらの縁の薄かったことを淋しくおもう。
それからのちも、御遺族の方々をたずねて生前のことをもうかがい、おん白骨のまえにひざまずいて、とむらいたいと心がけながら、今日まで、未だにそれも果たさぬ。
坐(そぞ)ろに情誼(じょうぎ)の乏しきをすまなくおもい、慌しい生活をさびしくおもう。せめては幼き頃の思い出をかきつけて、この心淋しさをみずから慰めたい。
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