職場には遠くなった上、買い物は不便になったけれど、ずいぶん家賃は安くなった。おまけに、駅から最寄りまでバスが走っていて、それに乗らなければ職場から支給される交通費が一日五百円ほど浮く。

だから、毎日、駅前で買い物をして荷物が重たかろうが、横殴りの雨が降ろうが、せっせと歩き続けた。建物につくまでの最後の道には階段があり、その階段を上りきるとまた四階までの階段が待っている。

万歩計は文字通り万を超え、足が棒になった。夜眠りに落ちるまでの幾ばくかの時間、おっかないという気持ちはわき起こる。暗闇の中、かちっと何とも知れない音が響いたりすると、心臓は早鐘を打ち、布団に頭からもぐる。でも、疲れた体にはそんな時間はほんの一瞬で、すぐ睡魔が訪れる。

やはり、あの部屋には近づくのをはばかられた。引っ越してきてからというもの、掃除をすることもなく、ふすまは閉めきりになっていた。体液が流れて、蛆虫がいて、という事務員の言葉が耳に蘇って、そのたびにわき起こる想像を必死で振り切った。

リビングから外を眺めると、ベランダの向こうに海が見えるというものの、ちょうど目の前に生えている大きな木の枝にじゃまされて、半分ほど視界が遮られているから、問題の部屋からなら、とてもきれいに、街や海が一望できそうだった。引っ越してきて一度だけ、例の部屋に入るふすまに手をかけてみたものの、足元をもぞもぞと歩く蜘蛛に驚いて、きびすを返してそれっきりだ。

次回更新は12月14日(日)、11時の予定です。

 

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