歴史的考察の重要性
ニーチェがはっきり述べているように、これまでのあらゆる哲学の欠点はこの歴史的考察が欠けている点にある。ここでいう歴史的考察とは自然主義的・発生的考察のことをいう。
この欠点は現在の哲学においても克服されているとは言い難い。とりわけデカルトにおいて顕著であり、彼の思考様式は近代哲学の出発点として以後の伝統にも強い影響を与えた。デカルトの「方法的懐疑」は、あらゆる前提を一度括弧に入れるという方法論的態度を取ったために、概念や信念が実際にどのように歴史的に形成されてきたかという視点を欠いていた。
彼は思考を深めることで確実な真理に到達できると信じ、身体や外界の存在すら思考の外に退けた。しかし、この態度は、自己の思考を唯一の出発点とみなす近代的合理主義の偏狭な姿勢を象徴している。
背後には、理性を絶対的なものと見なし、それが世界の根源的秩序と結びついているはずだという宗教的・道徳的な発想があるようにも思われる。だが現実には、宗教・道徳・芸術はいずれも世界の本質そのものとは何の関係もない。
デカルトの神の存在証明が今日説得力を持たないのは、彼の議論がそうした概念の歴史的背景や発生過程を全く考慮していないからである。
「神」や「理性」といった観念は、突然生じたものではない。それらには、アニミズム的な初期の幻想から始まり、抽象化を経て何千年もかけて成立してきたという長い歴史がある。
この道筋をたどれば、「神の存在証明」自体がそもそも不必要で無意味であることがわかるだろう。理性もまた非理性的な衝動や感覚の延長として発達してきたものであり、神的な起源などはどこにも存在しない。