【前回の記事を読む】人間は特別じゃなかった──“生命の始まり”が明かす、進化の常識と哲学の誤解
序 哲学的観点とホルミシス効果
宗教、道徳、芸術といったものは、現生人類の出現以後、その原始的な知性の土壌に芽生え、花咲いたものである。したがって人間世界における最高の価値あるものも、崇高とされるものも、その大もとは粗野で下等なものから生じてきたのではないかという疑いが当然ながら生じる。
最高の価値とされるものも卑しい下等なものから生じてきたとしたらどうであろうか。誰でも抵抗や反発を覚えるであろう。しかしこれが事実だとしたらそれをいつまでも無視することはできない。
したがって例えば、神の存在を論理的に否定あるいは肯定することも無用である。なぜなら「神」という概念が成立し受容されてきた道筋が明らかになれば事実上この概念を論駁したことになるからである。
一番いい例は人間である。人間の存在を進化論によって詳細に明らかにすることができたとしたら、神による人間の創造というのは自ずと否定されることになる。これが生物の神による創造説を支持する人たちが進化論に執拗に激しく抵抗する真の理由である。
人類の動物としての出自という思想に抵抗を覚えそれを受け入れ難くしているのは人間の誇りである。外の自然や動植物との違いを理性・精神を所有することで明確にできるとする人間のこの誇り、この誇りは有史以来の比較的新しい現象である。
なぜなら数十万年に及ぶ有史以前はアニミズム的思想が当たり前であったからである。当時人間は至るところに精神や霊、魂などを想定していた。これらの迷妄や錯誤から自由になったと思い込んでいる現代の哲学者たちもこれらの影響をそれと知らずに相変わらず引きずっているのだ。
ある有名な遺伝学者が、「進化を考慮しない生物学は何も意味をなさない」と喝破したが、これは哲学についても言えることである。