物なのか、情報なのか。とうの昔に記憶の底に沈めてしまった何かを必死に掬(すく)い出そうと何度も試みたが、あと一歩のところでいつもこの手からすり抜けて、また底なしの昏(くら)い水の中に落ちていく。
私は無力にも、ただその様をじっと見届けることしかできないでいた。
もう何度も、何度も。
私は自分が父のただ一人の後継者として誕生したこと、しかも男ではなく女として生を成したことに、世の不条理を感じざるを得ないのだ。
せめて名も無い家の平凡な娘として生まれていたならば、幸と不幸の狭間(はざま)を行き来するというありふれた日常を送ることができたのだろうに。
私が男であったならば──。
この湧(わ)き上がる正義に燃える情熱だけでなく、怒りや悲しみ憎しみ等全ての負の感情すらも原動力に変えて、平安の世を後世に繋ぐために思いのままに心血(しんけつ)を注げるであろうに。
女の肉体の限界が恨(うら)めしい。
もしや彼奴は従順に仕(つか)えている振(ふ)りをしつつも、本心では男ほどの身体的能力のない女の私を軽視し、男である自分よりも劣る私の容貌(ようぼう)をも憐(あわ)れみ、その瞳にすら映し出すことも拒(こば)んでいるということなのか?
あの時、確かにルシフェルは私の真実の名前を叫(さけ)んだ。最も近しい血縁者以外、知ることのない、たとえ偶発的に知ってしまったとしても決して口に出してはならない真実の名を。後にも先にも一度きり。
「ディアーナ様!」
元首宮の一角(いっかく)にある深い洞窟の入口で、私が足を滑らせ滑落(かつらく)しそうになった時咄嗟(とっさ)に。
後にも先にも一度きり。
私は問うた。
「今、何と言ったのか。もう一度言ってみよ」
しかしルシフェルは慌(あわ)てて首を横に振り、
「わたくしは何も申しておりません」
と答え、配下が主人に詫(わ)びる時にするように、ひざまずき頭(こうべ)を垂れた。
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