【前回記事を読む】人並み外れた優れた美貌、若いながら完成度の高い精悍に鍛え上げられた肉体、揺るぎのない忠誠心――だが、私は彼のことが……
第二章 蔦の迷宮に燃ゆる紅薔薇
白い熊のぬいぐるみを見たのは初めてだった。私は生まれてこの方、熊といえば黒や茶色しか知らなかった。しかしそんなことよりもっと印象的であったのは、少年の氷の結晶のように神秘的な、異国的な蒼色(あおいろ)の瞳であった。そこには、幼さの残る姿に似つかわしくない憂(うれ)いすらも宿していた。
この世の全ての成り行きを知り尽くし老成(ろうせい)した者に備わる悲哀(ひあい)と諦(あきら)め、あるいは生来の叡智(えいち)ゆえだったのかもしれない。
少年はあまりにも急速に成長した。
私の背丈を超した十四の頃には、剣術や戦術等全ての知識も実践も身に付け学び終えていた。
あのか弱そうな控えめな微笑みも、女児のようなあどけなさも儚(はかな)さも、もうどこにも無い。白い熊のぬいぐるみもその腕に抱かれることはなくなった。
ただ、異国的な蒼色(あおいろ)の瞳はますます神秘性を増し、それどころか非常に冷ややかになっていき、次第に私と視線を合わせる頻度(ひんど)が減り、いつしか私の顔すら見ることもなくなった。
朝見(ちょうけん)や軍事会議などの職務以外に私に接する時間は父により減らされ、私的な時間にルシフェルが私の室(へや)に入ることも禁じられた。
おそらくは父の意思に沿うように振る舞っていたのだろう。私的な会話は完全になくなり、決して態度を変えない無表情で無機質な彼奴(きゃつ)の冷酷さを私は恨(うら)むようになっていった。
悔(くや)しい。
私はルシフェルより劣っている。父はルシフェルに全幅(ぜんぷく)の信頼を置いていた。確かに、最も前途(ぜんと)有望な才気(さいき)溢(あふ)れる部下であるには違いない。
しかしあまりに優遇し過ぎなのではないか。そして、ルシフェルの私への冷淡な態度を平然と見ている父は何故(なぜ)、ルシフェルに目をかけ手厚く育ててきたのか、どうしてそんなにも寛大であったのか。父亡き今となってはもう、その理由を知る術(すべ)がない。
いや、そうではない。この男ルシフェルは重大な何かを父から託(たく)されたのかもしれないと、私はどこかで危惧(きぐ)しているのだ。それが何であるかは判(わか)らない。