小学生の頃に遡るが、道場の仲間に勇也という者がいた。勇也は武司とは対照的で、剣術に魅了され、親に懇願を繰り返した末に道場に入れてもらった。師範のように心身共に強くなりたいと毎回稽古を楽しみ、大会や演武会が近づけば、その手を加速させるのである。

武司はそのような勇也が羨ましい反面、嫌いであった。自分の意志で楽しむのは大いに構わないし、寧ろ父に強制されて取り組む自分なんかよりは何倍も充実しているのだろう。嫌いなのはそれを押し付けてくることだ。

勇也は運動神経も良く、稽古もしっかり積むものだから、凄まじい速さで成長していった。一方で武司は運動神経も悪く、稽古は欠かさないものの、そこに精は込められておらず、成長は遅かった。そして、練習試合でも勝ちが少ない武司に対して勇也は言い放った。

「せっかくやるなら全力でやろうよ。できないなら人一倍努力しなきゃ。そうだ、今度の大会一緒に出ないかい。そしたらもっと練習に力入るはずだから」

勇也に悪気はなく、寧ろ武司を鼓舞しようとしていたのだろう。確かに武司にはやる気はなかったかもしれないが、その中でできる努力はしていたつもりではあった。自分の物差しでしか考えず、武司の父に強制され、心身が追い付いていない背景を理解しようとしない勇也は父と何ら変わりないと思い、憎んだ。

然し、その一か月後、勇也は道場を去った。武司を誘った大会で、勇也は優勝を目指して一人奮闘していた。初出場にも拘わらず、今回負ければ何もかもを失うかの如く、稽古に熱を注いでいた。結果は残酷で一回戦敗退であった。

練習中は冷ややかな目で見ていた武司も、悔しさのあまり水溜まりを作る勢いで号泣する勇也を気の毒に思った。然し、勇也にとって武司は不真面目な存在であり、声を掛けられたところで気を逆撫でしてしまうと思い、勇也に慰めの声は掛けなかった。

そのことが嘘だったかのように勇也は次の日には稽古に参加しており、杞憂であったかと思っていたが、やはりどこかその表情には影があった。完全には立ち直っていないというのは何ら可笑しな話でもなく、時間のみが解決してくれると武司はこの日も呑気に稽古に参加していたが、その翌日から勇也は姿を見せなくなった。

 

👉『兎角儚きこの世は』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】電車でぐったりしていた私に声をかけてきたのは、不倫相手の妻だった

【注目記事】父は窒息死、母は凍死、長女は溺死── 家族は4人、しかし死体は三つ、靴も3足。静岡県藤市十燈荘で起きた異様すぎる一家殺害事件