【前回記事を読む】水俣出身ということは隠さなければならなかった。結婚は破談になり、修学旅行でいじめられ、差別までされる。
元気発進Ⅰ 00/11/20−01/03/27
送信メール:元気発進 64号
送信者:永吉 大洋
宛先:《中川町役場》
送信済:01/02/27 午後5:31
昨日は、「森学」開校日。
21人の受講生と、楽しい夕べを過ごしてまいりました。えっ、何が楽しかったのか……ですって? ビールを飲んだことではありませんよ。
確かに、それもありますが(笑)。
生まれや育ち、年齢も違う21人の受講生の皆さんと、それぞれお互いの人生観を話し合えたことは、私にとって、とてもよい刺激になりました。その刺激を、新たな活力にしてまいりたいと思います。
職員の皆さんがスタッフとして、一生懸命努力している姿も大変嬉しく思いました。開校式を迎えるまでも、その準備に大変な苦労があったことでしょう。スタッフとしての関わり方も、前回よりもすっかり様になってきました。
新しい発見です。
帰ったのは、午前様の12時15分。とても美味しいビールでした(やっぱり)。
しかし今日は、もう少し早く帰るぞ(決意表明……笑)。
前回に引き続き、Y水俣市長について、もう少し触れたいと思います。
懇親会は、お寿司屋で開かれました。
「ぜひとも水俣の安全な魚を、皆さんに召し上がっていただきたいと思い、寿司屋を選びました」とY市長。
懇親会の2時間の間、彼は正座を全く崩しませんでした。
患者団体との協議に誠意を持って対応しようと、いつしか正座が習い性になったと話されていました。
彼の信念の強さを物語っているようです。
そうそうY市長から、「中川の町長さん、森の学校はいかがですか? ハスカップは見たことがありませんが、どのような物ですか?」と突然質問を受けました。びっくりしました。
予備知識を、しっかり頭に入れているのですね。
たとえ秘書が調べたにしても、なかなかできない努力です。
彼の手許をよくよく観察しますと、カンニングペーパーを持っていました(笑)。
だからこそ、なおさらY市長の人間性が、とても好きになりました。
子育ての 終えし母あり 嬉々として
鹿笛を彫る 「森の学校」