【前回の記事を読む】裸足で現れた若武者・源義経、平泉で藤原秀衡と歴史を動かす邂逅に至る

第一章

承安六年(一一七六年)
旧暦四月二日 十八歳
束稲山

太守秀衡公の豊富な持ち駒の中から貰い受けた、秘蔵の駿馬で山駆けをする、それは十八歳になる九郎の一番の楽しみだった。

陸奥国の長い冬を乗り越えた常緑樹の葉は、その黒ずんだ葉を落としながら艶やかな新緑に覆われてゆき、枯れ木のようだった落葉樹も芽吹き、育ち、広がり、全山眩いばかりに輝く萌黄色、それが日増しに色味を深め、今、誰の扶けを得た訳でもなく力強い碧緑(へきりょく)に成長しつつある。

深く蒼い空の下、四月の風にそれらが一片(いっぺん)毎一斉にそよぐ様は正しく、再びの命を得た喜びに木々が笑っているようにしか見えない。緑萌え、鳥啼き渡り、花の香りが鼻腔をかすめる。その中を九郎は蹄音も軽く走り抜ける。額に汗がほとばしる。

いつもの沢流れまで着くと馬に水を飼い、主従は並んで半靴(ほうか)を脱ぎ、流れに足を入れて寛いだ。

九郎は上体を仰向けに倒して暫く心地よさげに青空を見ていたが、そのうちふと起き上がって、傍らに咲いたカタクリの紅紫の花を手の甲でそっと撫でると、懐から短刀を出して根元から切り取った。

(炭焼き小屋の於みつの髪に差す)

花の香りを鼻先で匂いながら、そう思った。

夕刻に屋敷に戻った九郎は、御所からのお召しがあった事を聞き、衣服を改めて獲物の鹿を馬に担がせ、従者(ずさ)と共に秀衡の屋形に向かった。

昼御座にいた秀衡は九郎を見ると相好を緩め、

「九郎殿、今日の山駆けの獲物はおっきな牡鹿だとな。腕を上げやんしたな。春の鹿は脂ァ乗って旨い。汁にさせるべし、食うていきなされ。身も馳走になるべし」

九郎はあっさりと、

「それが、射止めたのは治郎左エ門にございます。我が射た矢は鹿に届かず、手前の草むらに落ちました」

「左様か。さらば、もそっと強い弓に替えてみてはどうだな。狩りもしやすくなろうべし」

九郎は少し伏し目になったが、すぐに釈明するように、

「強弓(こわゆみ)は、九郎には荷重にございます。弓を張る力が足りませぬ。お恥ずかしゅうござります」