夜には、テレビに布をかけて光が漏れないようにして観ていた。とても委縮した生活環境であった。深夜放送「オールナイトニッポン」を聴くのが唯一のやすらぎであった。

私は、部活には入らないとしていたが、野球にはリトルリーグからの未練があった。守備とミートバッティングは得意なので戦力にはなる自信があった。

水泳に関しては、京都踏水会であらゆる古典水泳法を学び、琵琶湖遠泳5kmを2時間あまりで完泳していたので、競泳以外は自信があった。

淡水で5km泳げたら体力がないとはいえないので、見かけより健康だったのだろう。当時の部活では、才能よりも努力と練習熱心な方が監督の目に留まり起用を得たようであった。恐らく、通知表や内申書の評価も努力が加味されていたと思う。

そして先生に嫌われたら、テストで最高点でも5にはならず、4にされた経験もあり、依怙贔屓(えこひいき)がまかりとおる時代であった。

それに反発して脱落した生徒もいたようである。社会に出ても同じような傾向があり、実力以上に要領のいい人間が出世していく不条理な世界が展開されていたように思う。今から思うと、自分の置かれた生活環境からの僻(ひが)みなのかもしれない。

成績の低迷と高校進学の危機

多感な中学2年、3年生の時期は、悩み多い2年間となった。塾にも行かず、模試なども受けずに学校主体、教科書中心の学習を続けていた。

ところが成績は落ちてきた。放課後2時間位の学習時間では、明らかに足りないのだ。家庭学習も思うようにできないので、志望校の同じ生徒との差がついてくる。

一日2〜3時間位違うので当然である。定期テストは教科書中心だが、実力テストでは、参考書、問題集などをもっとこなさなければ点数が上がらない。

実戦形式のドリル演習を積んでいないと解答ペースが遅くなり、時間内に間に合わない。やはり塾に行くべきかとも考えたが、とてもそんな経済的な余裕はない。

これでは志望校への入試は黄色信号点滅状態となってしまう。そのような焦りと思春期の心身のモヤモヤも相まって不安定な状態に陥った。

 

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