――そもそも恭平と杉野は、歌を媒介として知り合ったのだった。

高校に入学した年の四月下旬。新入生歓迎の遠足があった。たまたま杉野と隣り合わせに座ったバスは、岩国の錦帯橋に向かっていた。

決して美人ではなく、若さも愛嬌もないけれど、揺れるバスの車中で数時間は立ち続けられる安定感ある足腰を保有するガイド。つまり、誰もが座席から背伸びして見ようとはしないガイドの案内に退屈して、恭平は居眠りしていた。

窓側に座り欠伸を連発していた杉野が、突然立ち上がり、天井に頭をぶつけぬよう腰を四十五度に折って叫んだ。

「ねぇ、ガイドさん。誰も話は聞ぃとらんけぇ、何か歌でも歌ってぇや」

マニュアル通りの案内を全く無視されていることに気づきながら、懸命に職務を全うし続けていた彼女は、笑って潔く職務を放棄した。

「ごめんなさい。昔から、天は二物を与えず、などと申しまして、ご覧の通り私は、歌がダメなんです。その点、あなたなら大丈夫でしょう。まず、座高の高いあなたから歌っていただきましょう。皆さん、拍手をお願いします」

笑えない自虐的ギャグと精一杯の皮肉にパラパラと拍手が起こり、その虚無的な音は白けた溜め息の音と交わって消えた。

(それ見ろ。黙って眠っていりゃいいものを、余計なこと言いやがって)

肘掛けに頬杖をついて、恭平は杉野を見上げる。

「よっしゃ、ほいじゃあ、マイク貸してください」

驚いたことに杉野は、辞するどころか嬉々としてマイクを要求し、座席に腰を下ろしながら内ポケットから学生手帳を取り出しページを捲る。

(こいつはアホか!? 高校生になっての遠足がすでにバカらしいのに、そのバスの中で校歌でも歌おうっていうのか)

わざとらしく腕組みをした恭平は、背中をシートに押し付け、首を捻って、横目で手帳を覗き込んだ。そこには、小さくて下手くそな英文字がビッシリと書き連ねられ、随所にカタカナが付されている。

(この野郎、最初っから自分が歌いたくて、ガイドの邪魔しやがったのか)

♪~
♪~

……… いきなり歌い出した決して流暢とは言えないタドタドしい英語の曲は、それでも一応の旋律には乗っており、どうやら恭平も耳にしたことのあるビートルズの楽曲のようだ。

しかし、恭平はそのタイトルを知らない。前の席に座っている女生徒の数名が背伸びをして体を捻り、興味深そうに杉野を覗き込む。

右手にマイク、左手に学生手帳を握った杉野は、極端に右肩を上げ上半身でリズムをとりながら、気持ち好さそうに歌う。恭平は、自分が注目されているような恥ずかしい錯覚を覚え、目を瞑る。

 

👉『イエスタデイを少しだけ』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】夫の不倫現場に遭遇し、別れを切り出した夜…。「やめて!」 夫は人が変わったように無理やりキスをし、パジャマを脱がしてきて…

【注目記事】認知症の母を助けようと下敷きに…お腹の子の上に膝をつき、全体重をかけられた。激痛、足の間からは液体が流れ、赤ちゃんは…