【前回の記事を読む】傲慢で女癖が悪い父と愛人が婚前旅行中に大事故に。愛人は死亡し父は瀕死の重傷。残されたのは父の多額の借金だった…

前編|生い立ち

小・中・高時代

周りの人たちが特別に優しくしてくれたのは、今思うと両親がいないことを不憫に思ってくれていたからだと思います。

当初は父が教育熱心だったこともあり、小学校低学年時は成績もほとんどオール「五」でしたが、その後は全く勉強しなくなり、高学年になると少し成績が落ちました。

しかし、どういうわけか私は学校内でも地域でも人気者でした。祖母は私が学校からもらう表彰状の数が多かったので、家の壁一面に貼ってくれていました。

記憶にある一番の栄誉は、小学校五年生の時に書いた作文が全国コンクールで入選したことです。作文は苦にならなくて子どもの頃から大好きでした。

一年生の時の担任は原田先生というベテランの教師で、わが子のように可愛がってくれました。先生の自転車で四キロ以上離れた家まで乗せてもらったことも何度かあります。家庭環境の不遇さもあり、目をかけてくれたのだと思います。

二年生の担任は濱口礼子先生という、これまた鼻筋が通って髪をロールした女優さんのような人でした。この先生も自分の子どものように可愛がってくれました。

小学校時代は多くの表彰状をもらいました。自宅では勉強もほとんどしないで、隣近所の子どもたちと暗くなるまで遊ぶことばかりでしたが、目立ちたがり屋だったのか、いつも子どもたちの中ではリーダー的存在でした。

一番の思い出は、祖父とよく海へ魚釣りに出かけたことです。当時は車も船もないので、釣り竿を担いで祖父と海辺まで三十分ほど歩いて、餌取りをした後に岩場で釣りをしました。