【前回の記事を読む】その翌日、目を覚ますと母はいなくなっていた。置き去りにされ、泣きながら周囲の家族たちに訴えかけたのだが…
前編|生い立ち
誕生から幼少期
父は明治専門学校を卒業後に折角就職した会社を辞めて自ら起業し、母と別居後に九州一帯の学校で文部省推薦作品などの教育映画を興行する会社を経営していました。家庭を顧みない父がどうして文部省の教育映画を普及する仕事に就いたのか事情はわかりません。
父は長男坊でありながら実家の農業は祖父母に任せて、自分のやりたいことを優先して行動する人のようでした。大人になって考えますと、父は家庭を持つ資格がないのに親の言いなりになって結婚して、配偶者に不満で家庭まで捨ててしまうような人間だったようです。
教育映画を仕事にするような人間がどうして子ども心を理解しようとしなかったのか、親としても一人の人間としても理解できないくらい不思議に感じています。
父は頭脳は明晰で学業も優れていたようですが、頑固で利己的で我儘な性格は終生変わらなかったように見えました。父の行動が尊敬できなかったので、私の人生には父の生き方が大いに反面教師になりました。
幼少の頃は父が学校で教育映画を放映するのに連れていかれたことが何度かあります。後妻になる人を車に乗せて行動していましたので、いつかこの人が稲田家の母として振る舞うのだろうと想像していました。
その人が父の最愛の女性であったことは、父が亡くなった後、遺品を整理して見つかったその女性に対する長い恋文を読んで理解できました。
父は多額の借金をしながら収入が不安定な仕事を続けていましたので家計は火の車なのにもかかわらず、実家の農業はすべて他人まかせで一切手伝いませんでした。祖父母と小学生だった私を含めた男兄弟二人が中心になって苦しい生活の中で農業を営んでいました。
そんなある日、父が婚前旅行中に滋賀県の彦根山中で交通事故を起こし、愛人の方は即死で、父も瀕死の重傷を負いました。この事故を契機に、わが家は借金を丸抱えで債権者に取り立てられることになり、稲田家の運命が急変しました。
父の会社の事業は多額の借金の上で成り立っていたようです。それが事故で大怪我をして、さらには長期入院で働けない最悪の事態に陥りました。