デジタル維新
20世紀型成熟産業を安定した産業基盤に再構築し、夢と希望にあふれ、天国と地獄が紙一重のスタートアップ新産業を重ねて、安定して成長の期待あふれる次世代の日本のデジタル産業が飛躍的復活へとよみがえる「デジタル維新」に取組もう!
まえがき
小学校1年生の夏に終戦を迎えた私が、戦後の食糧難の時代を乗り越え、1961年に大学を卒業して東芝に入社して39年間、デジタルで、脱炭素で、世界の最先端をリードしてきた。
21世紀に入って20世紀型成熟産業の倒産の危機に直面したケンウッド社の奇跡の生還・再建を果たして飛躍、並行して若い志に燃えてスタートアップを起業する次世代の創業者にユニコーン企業への道を支援している。
この日本の高度成長期から半世紀の足跡を紹介し、次世代の人たちによって日本のデジタル産業がよみがえる、「デジタル維新」を願って本書をまとめた。
私は、電気工学科出身の技術者だった。
大学を出て、入社の次の年1962年、戦後日本で稼働する2台目の理化学研究所のサイクロトロンの製作を東芝が受注、私に、運転制御装置を、1時間に1/10,000以下の変動という極限の特性で、世界初の全半導体で開発を要請された。
まだゲルマニウムトランジスタ―の時代、大学では、点接触トランジスターの原理しか習っていなかったので、
専門書で、最新のトランジスター回路を勉強し、東芝府中工場で、電子回路、直流送電、電気機関車など、あらゆる部門の協力を得て、1年で完成し、無事運転を見届けた。学会に発表し、設計書にまとめて後継の技術者に引き継いだ。理論が現実の装置となることを実感した。
その後25年間順調に運転し、プラントのシャットダウンセレモニーに、特別に招待された。人の役に立ったことに感激が込み上げた。
入社3年後から、20歳代で、ニューヨークや、まだシリコンバレーが一面の果樹園で、今日のようになる前のアメリカを経験して、これが私の人生に大きく影響し、ものの考え方の原点にもなってきた。