天才の軌跡⑤ ロベスピエール
筆者は、矛盾するように見える恐怖政治の指導者としてのロベスピエールと、弟や妹たちにやさしく、弱い者を助け、ハトの死に涙を流し、死刑を廃止しようとしたロベスピエールの行動は同じ原点から由来していると考える。この原点というのは、母の死とそれに続く父の失踪である。彼の弱者に対する同情は、明らかに、母と父の庇護を失って、世間に立ち向わなければならない自身と弱者との同一視に起因する。
母を失ったのはロベスピエールが六才の時で、父が行方をくらませたのは八才の時である。この時期に彼が感じたのは恐怖ではなかっただろうか。
ロベスピエールの性格の変化は当時わずか五才前後であった妹のシャルロッテの記憶に刻み込まれるほど激しいものであった。そしてシャルロッテの述べているように、この恐怖はロベスピエールを超良心的な子供に変えている。
不幸なことは、このため彼の心の成長はこの時期で止まってしまったことである。言い換えるならば、あまりの重荷を背負わなければならなかったために彼の心は成長する余裕を失ったのである。
子供はよく知られているように、善悪を識別する時、絶対的な善と絶対的な悪とにしか分類できない。子供が好む物語の主人公は絶対的な善の代表者である。
ロベスピエールは彼自身が絶対的な善であると確信していた。「卑劣な振舞の廉でわたしを弾劾したり、恥ずべき内通や醜聞の科をもってわたしの名を傷つけたりし得た者はかつて一人もいない」「わが胸にはかつて低劣な感情の宿ったことがない」(『ロベスピエール』マルク・ブゥロワゾォ、遅塚忠躬訳)。
おどろくべきことは、ロベスピエールの場合、これらの言葉が信ぜられることである。彼が清廉潔白であることはしばしば彼の政敵によってさえ認められていたのである。故郷のアラスでは、若き弁護士として恋愛をしたこともあったが、彼は生涯童貞であったろうと推測する人もあるくらいである。
このように自身を絶対的な善と確信する者が、自分と意見を異にする者を悪と断罪するのは当然である。そして、恐怖をもって他人の行動を変えさせようとするのは、恐怖(母の死と父の失踪)が彼の幼児期に彼を絶対的な善に変えたからだろうと考えられる。彼は、母親の死と彼の悪戯とを結びつけて考えてしまったのではないだろうか。
それでは彼を革命へと駆り立てたものは何であったのか。一つは彼の弱者と自身の同一視であり、もう一つは父に対する不信感である。母を失った後、ロベスピエールの頼るべき父が子供たちを見棄てたためにこの不信感は芽ばえたものに違いない。
このことは、革命のただ中、王が逃亡をくわだてた後に、ロベスピエールは初めて王を非難する演説を行なったことに示されている。彼は父が父としての責務を果たさなかったのと同様、王が王としての責務を果たしていないと感じたに違いない。
ロベスピエールはテルミドールの悲劇から逃れようとする努力はあまりしていないようである。そして、テルミドール九日、一説によれば、彼はピストル自殺を図ったとされている(他説によるとメルダという名の警官に射たれたともいわれている)。
この時、彼は三十六才だった。六才の時から寛ぐことができたのはアラスで弁護士として働いていた時だけではなかったろうか。もう戦いに疲れていたのであろう、この時、彼は老人のようにしか見えなかったという。
テルミドール十日(一七九四年七月二十八日)、死刑執行人が前日の弾創をおおっていた包帯を荒々しく引きちぎった時、ロベスピエールは虎のようにうめき、そしてそのうめき声は刑場の隅々まで聞こえたという。このうめきは傷の痛みだけのためであったであろうか。