暫く間を置いて、「もし製品引取が実際に発生する前に銀行団をまとめて、そうした筋書で運べることを確認してくれたら、自分個人の決断で、off take契約にサインする」と。
「1ヶ月間、権限逸脱の状態が続き、もし、それが社内に伝わりでもしたら、自分は即刻クビになることは分かっているな!? 私は社内ではTaとYe、それに財務部のOkにしか明かさないで進める。そちらも貴行営業担当部(同社の窓口となる担当部)には言わず、貴行より我社に情報が漏れない様にして欲しい」と続けた。
一週間ばかりして、同社が10%の製品の長期44製品引取契約者となるoff take Contractが厳封され親展扱いで送られて来た。Signature Page(署名欄)には部長Shのサインがはっきりとあった。
そのコピーに加えて準備してあった“完工承諾書”用紙と“Off taker変更に関する要請書”及びその“承諾書”のひな型をワンセットにして、参加行への依頼の行脚が始まった。
米銀でもサバけて「大変ですね、分かりました。御苦労様です」、で終わるところもあれば、邦銀でも嫌味を十分言われて、「何か変更に伴う追加のFee(手数料)の支払はないのか?」と、本音をぶつけて来るところもあった。
エリックの悪魔の囁きに乗ったことを後悔しつつも、一方では感謝しながら、期日迄の1ヶ月は、1週間の如く過ぎて行った。
ところが反対していた一行(D Bank)が最後迄首を縦に振らない。尤もである。「そんな先が見え透いた単に形式的手続を踏むだけの要請に応じるのは恥だ」と。そして数週間が過ぎた。
東京より同社の担当部長Sh氏が、Ta、Ye、Ok 3氏を伴って飛んでNY入りし、JFK(ジョン・F・ケネディ)空港から直接車で乗り付け、怒鳴り込んで来た。応接間に私と米人担当者以外の出入は当然許さない。
同社担当の当行営業部長も、支店長も、心配して顔を出そうとした。ただ挨拶だけで席を外す様にとの客の言葉に従わざるを得なかった。室外にも怒りを伴う大声が漏れ聞こえていたらしい。後で聞いたところに依ると。
「お前は1ヶ月で話をまとめると言っただろう!! もうこれ以上完工保証が外れないと、社内でペナルティを課される!! いわんや自分の権限逸脱がバレたら俺はクビだ!! 我が部の展開にも大ダメージだ!! 事件として報道されでもしたら……!!」等々。
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