【前回の記事を読む】突然の連絡だった…当直室で大みそかの歌番組をみていると、「胸を刺された外傷の人がいるので、救急搬送します」

罪の行方 心臓手術が救った二人

私は、もう一人の医師と、まるで100メートル走のスタートの号砲を待つ短距離走者のように心の準備をし、まさにこれから到来しようとする予期せぬ事態に対処できるかどうか、漠然とした不安を感じていた。しかし気力だけはみなぎらせて静かに待った。

しばらくすると、救急車のサイレンが遠くに小さく聞こえてきた。私たちの病院へ向かう救急車は大橋を渡ってくる。救急車のサイレンの音は徐々に大きくなってきた。そして、病院の救急外来の前に救急車は到着し、サイレンの音は止まった。

すぐに救急外来の入り口が開いて、救急隊の隊員が若い男性を乗せたストレッチャーを押して、運び込んできた。私はその光景を見て息をのんだ。刃渡り30センチメートル以上の包丁が胸に突き刺さって垂直に立っている。

私はそんな光景をこれまで見たことがなかったし、おそらく救急外来にいた誰もそんな光景を予想した者はいなかったと思う。その場にいるすべての人が一瞬凍り付いたようになった。

しかし私は一瞬にして患者の危機的状態を理解した。心停止寸前。血圧も測れず、全身に血液が全く送れていない状態だ。心臓外傷とそれに続発する心タンポナーデ、開胸して心臓マッサージが必要と判断した。

間髪入れず私は大声で叫んだ、「イソジン! メス!」複数の看護師が、太い木の枝や固い皮革でも裁断できる大きな鋏で、着ている分厚い冬服を断ち切って胸を大きくはだけた。私はイソジン消毒液を1本丸ごと胸にぶっかけた。それから手袋をはめて、即座に胸をメスで切った! 第5肋間だった! 一気に切った!

2回目にメスで同じ切開創を切ったところで左胸腔は開放された。開胸器で肋間を広げてすかさず右手を突っ込んで心臓をつかんで、心臓マッサージをしようとした。その時、まだ包丁が刺さったままであることに思い至った。

「包丁を抜いてくれ」と指示したら、誰かが、ゆっくり包丁を抜去してくれた。間髪入れず私は、心臓をわしづかみにして、心臓マッサージを開始した。そして、大声で叫んだ。「手術室へ」。

その時、私にはそう叫ぶほかなかった。心臓はまだ小さく拍動していた。あきらめるわけにはいかなかった。すると誰かが直ちに答えてくれた、「手術室には、連絡が行ってます」

私は、「行くぞ!」と言って、左胸腔に右手を突っ込んで心臓マッサージをしながらストレッチャーを押して、手術室に向かった。