「その男に見つかったら、どうするんだ」
「とりあえず、妹と一緒に逃げてもらえますか。私にも連絡をください。すぐに駆けつけますから」
「どこに逃げればいいんだよ」
「近くのホテルにでも行ってください」
「ホテルねえ。ところで、あんたは何の仕事をしているんだ」
「ただの勤め人ですよ。そんなことより、妹の身が危険にさらされているというのに、兄としてこのまま見過ごすわけにはいかないじゃないですか」
「気持ちはわかるけど」
「駄目ですかねえ」
間下は念押ししてきた。
「どれくらいの間、かくまっていればいい」
結城は問うた。
「お邪魔でなければ一か月くらい置いてもらえると助かります。その後は別の場所に移りますから」
話が成立すると、間下はそそくさと雨の中を走って帰っていった。話し合った時間は一時間を超えていた。結城は間下があの出来事について蒸し返さなかったため、自分に害が及ぶようなことは起きていないと安堵した。
結城は妹の顔をちらりと見ながら、兄の素性を詳しく聞き出せるかもしれないと思った。いや、そんなことは二の次だ。一つ屋根の下で暮らすのだから妹を抱ける機会が一度くらいは巡ってくるかもしれない。淡い妄想が体全体にまん延し始めていた。
その日から久美子との共同生活が始まった。
久美子は結城の魂胆を見抜いたかのようにジャージに着替え、化粧も落として色気を消した。
部屋に一日中閉じこもり、率先して家事を手がけた。溜まっていた結城の下着を洗濯し、きれいに折り畳んで収納した。結城が答案の採点作業を一休みしたときを見計らい、黙々と掃除をこなした。
空いた時間には持参してきた書籍を読んでいた。結城が夕方に近所のスーパーに買い物に出かけている間に、シャワーを浴びる。夜になると、新調してやった布団にくるまり、結城の横で眠った。
朝食も久美子が昼兼用でトーストのほか、目玉焼きと野菜サラダを用意した。
飲み物はホットコーヒーだ。夕食の食卓には結城がスーパーで買ってきた惣菜の横に、ご飯と味噌汁を並べてくれた。
世話になっていることに負い目を感じているからか、それともまだ怯えているからなのか。久美子は無口で、話しかけてくることもなく、味気ない生活が続いた。アパートの周辺で初老の男の影を見ることはなかった。
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