プロローグ

三十数年ぶりに降り立った五反田の街は、当時の面影の片鱗さえない見知らぬ街に変貌を遂げていた。遠い記憶にループして向かったあの場所に立つと、やはり見覚えのない無機質な、のっぺらぼうのようなビルが、よそものを見るように裕三を冷ややかに見下ろしていた。

存在と時間、あれは幻か砂上の楼閣だったのだろうか、一瞬のゆらぎを覚えたがすぐに打ち消し、否その場所はあの時まるでそこだけ強力な磁場のように多士済々有象無象の人集りの坩堝のような陽だまりの空間として確かに実存していたのであった。

裕三とて無論後者に属するその場所を漁場とする輩のひとりであった。

遡ること時は昭和末期、平成のバブル景気最盛期を迎える前夜のような高揚感にうく世間の好況とはうらはらに裕三の心も財布も湿り切っていた。

なんとか糊口を凌いできた先の見えない会計事務所の職から逃げ出して、塾講師のアルバイトに求職しながら税理士受験の専門学校に通うという無収入の生活を続けた当然の帰結として、雀の涙ほどの手許資金も枯渇していた。まったくもって能天気なまでの行き当たりばったりの計画性のなさは社会人になってもそのままであった。         

昨夜の自棄酒でしこたま浴びたケミカル焼酎に因するのか、これ以上ブルーな朝はないという酷い二日酔いの目覚めであった。

無論そのまま一気に起床できるわけもなく生来の優柔不断な性格に低血圧の体質も手伝って、いつもより永くせんべい布団の温もりに未練たらたら、「起きるまいか起きるか」、自らの胸と格闘するのであった。

永い格闘の末意を決して床を出ると、無用の長物と化した電話帳を活かしてそれをふみ台にするとおもむろにパンツをずりさげてひょいと一物をつまみだすと排水口めがけて放尿した。

高さ的に上に放物線状に弧を描いて着水させなければならずそれなりに技術を要するのであったが、この木賃アパートに転げ込んできて翌々日からの律儀なまでの朝のルーティンであった。

自炊することのない安普請な洗面台に事を終えた後は水を多めに流しておけば大丈夫だろうとずいぶん罰当たりな話ではある。

清潔好きな早紀が知ったら卒倒しそうであるが、ただでさえ爽快感の乏しい朝から異様なし尿の匂いの漂うポットン式の肥溜めトイレは、一日のスタートの出鼻を挫かれるようでまっぴらご免だった。

元来のものぐさも手伝って退去するその日まで洗面台が小便器の役割をはたした。裕三は残りが心細くなった煙草に火をつけると、惜しむように胸深く吸い込みゆっくりと煙を吐き出しながら、昨日までの大学卒業後の自身の一年間の軌跡に走馬灯のようにぼんやりと思いを巡らせた。

 

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