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父は大学院の時に、フビライ・ハンのモンゴル帝国(元)拡大の足跡と意義について、論文を書いている。おそらく、フビライ・ハンを研究している過程で、そのフビライ・ハンに長い間、仕えたマルコ・ポーロにも興味をもったのだろう。そして、その2年後には、マルコ・ポーロについて言及している論文がある。
そして、これは、ベネチアへの旅から始まっている。僕も新しいノートを買ってきて、同じようにこの間行ったあのベネチア旅行からメモを書き始めている。
マルコ・ポーロが仕えていたフビライ・ハンだが、その前にモンゴル帝国(元)について理解しないといけない。
日本人にとっては、本質的に理解しにくい点がある。日本でも乱世の時代があり、多くの武将が覇権を争い、天皇が統治したり、しなかったりということで、実際の統治をしている勢力は変わっている。
ただし、中国の場合は、もっとダイナミックだ。様々な民族が中国を支配し、また別の民族が取って代わる。近代史でも中国は、漢民族と違う民族が交互に支配者として中国を治めている。民族が違うというのは風習や言葉でさえ全く違うことだ。これは、日本人には頭でわかったとしても感覚としてはわからないところだ。
具体的に言うと、モンゴル帝国の前は、「宋」の時代。宋は、960年から1279年までの王朝で、漢民族である。
その宋はモンゴル族に滅ぼされモンゴル帝国(「元」)が始まる。元は、1271年から1368年までで、公用語も漢語ではなくモンゴル語だ。
その元を打ち破ったのは、漢民族であり、「明」を建国する。明は、1368年から1644年までで、もちろん公用語も漢語である。そしてこの明を滅ぼしたのは、漢民族ではない満州族であり、「清」となる。公用語はまた、漢語から変わり満州語となる。
そして清は1644年から辛亥革命が起こり漢民族に支配を奪還されるまでの1912年まで中国を統一していた。
こうみると中国の近代史は、漢民族とその他の民族の覇権争いの繰り返しと言える。その中でも圧倒的な領土と富を持っていたのは、遊牧民族だったモンゴル民族が始めた元なのだ。
モンゴル帝国に話は戻る。モンゴル帝国は、モンゴルの遊牧民を統一したチンギス・ハンが、中国のみならず中央アジアそして東ヨーロッパまでを一代で統治した大帝国である。飛行機や車がない時代を考えると統治した規模の大きさには驚かされる。
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