これから故郷の村へ帰るのだ。母は花のように笑った。コヅナもつられて笑う。笑い声が山々にこだまする。
ただ若者には心の底から喜べぬものがあった。
村に辿り着き、皆と喜び合うのもつかの間、しばらくするとそれは始まった。コヅナを指差し笑う子どもら、顔をそむける大人たち。コヅナはすぐにそのワケを知った。
澄んだ池の水鏡に映るコヅナの顔の片側に牙と角が生えている。いつの間にやら片方が鬼の姿になっていたのだ。
あな恐ろしや。恐ろしや。
子どもらの囃し声が聞こえてくる。
「片子のコヅナ、鬼の子コヅナ、わざわい連れてやって来た」
ため息交じりにじいさまは「こうもあからさまな鬼の片子であったのか」
怯えるばあさまは「片子は大きゅうなるのが早かろう。恐ろしや恐ろしや」
母はただコヅナを強く抱きしめるだけ。そこにはいつかの悲しい顔があるばかり。
そして、いきなり始まった。
コヅナの胸の奥の奥で、小さな雲が嵐になった。雷轟かせ大風荒れ狂い、何もかもをなぎ倒す。
コヅナには誰の声も届かない。誰もコヅナを止められない。
気付くとあたりはがれきの山と倒れ込む村の者。じいさま、ばあさま、母さえも。傷だらけのコヅナも血濡れて、体中から血がしたたっている。
母とつないだ手は、怒りにかられ振り下ろす凶器となってしまった。
ああなんてことを……拳を握り天を仰ぐが涙も出なかった。心と体が、どうしようもない力で引き裂かれていく己(おのれ)自身に、コヅナは慄(おのの)いた。
その時コヅナは、柊の枝を手にしている若者を見た。
コヅナは叫ぶ。
「ああどうか、その柊で、僕の胸をつらぬいて。どうか、あなたのその手で、僕が逝けますように」
それがコヅナの最期の願い、最期の祈りだった。
おしまい。
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