暴力の限界
2001年9月11日の悲劇は、全く新しい防衛手段の必要性を意識させる恐ろしい出来事だった。悪意を持った飛行機が世界貿易センタービルに突入した時、アメリカ人が恐怖に慄(おのの)き学んだのは、従来の手法では、決死の覚悟をした狡猾なテロリストを止められないということだった。
この悪夢の数時間と、その後数ヶ月にわたる炭疽菌の恐怖を通して、世界は新しい防衛手法、すなわち攻撃が企てられるより前にそれを止めるという予防策の必要性を理解した。
テロの計画者が外国政府であれ独立したテロリストであれ、アメリカ人には(その他の人もすべて)、あらゆるテロを止める体系的なテクノロジーが必要だ。
そうしたテクノロジーを知らない米国政府は2001年秋、自らが知る唯一の方法でテロへの報復を実行した。アフガニスタンヘ戦闘機を次々と送り込み無数の爆弾を投下したのだ。その国は確かに近年、イスラム主義組織タリバンが戦争や残虐行為を働いてはいたが、貧しくて無防備な国だった。
仮にこれらの攻撃にテロを止める効果があったならば、攻撃には幾らかの意味があっただろう。しかし数十年もの中東戦争の経験から、テロリストを殺害すれば(罪のない一般市民も巻き添えにすることは避けられず)、新たなテロリストを増やすだけなのは明らかだ。
アメリカ政府も重々承知しているように、イスラム原理主義者たちは今後何年間も、アメリカがイスラム国家全体に対して行った、冷酷で終わりの見えない爆撃を語り伝え、若者をテロの世界に引き込み続けるだろう。
この爆撃に対して確実に起こるテロリストからの報復は、「蒔いた種は刈らねばならぬ」という、あらゆる宗教に見られる信条を体現することになるだろう。物理学の言い方では、「作用はそれと等しい反作用を伴う」だ。
ひとたびテロリズムの悪しきサイクルが始まると、無情な攻撃と復讐心の連鎖から、殺した側が殺され、爆撃した側が爆撃され、破壊した側が破壊される。アメリカ人やその政府が残虐なテロにショックを受け、激しい怒りを覚え、圧倒的な暴力で反撃したのは無理からぬことだ。
しかし、復讐の機会を何年間もじっと待つ忍耐力を持ち、薬剤を散布する農業機を使えば一挙に何百万人も殺せるテロリストを相手にしている以上、彼らに対する攻撃は結果的に自滅の道へと至ることが運命づけられている。
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