思い出の断片

旧い友人の驪城君が亡くなったことは、私には、限りなく寂しい。長い間一緒にあるいて来た人が失われるということは、自分の生活の一部を失うたこととなるのだ。

――それにしても青年時代から虚弱の身を以てたどたどしい歩みを続けて来た自分が生き残って、比較的健康だった驪城君が突然に去って行ったということは、本当とは思われない。

それにしても近年の驪城君はやや健康を害しておられた。三、四年前の春、東京に遊びに来られて櫻井さんのお宅に滞在中急性の挫骨(ざこつ)神経痛に襲われて一ヶ月ばかりも病床に居(お)られたことがある。

久しく会う機会のなかった私は、その時幾度も訪問して談話を楽しむことが出来たが、しかしそれが病床の人であることが何とはなく悲しかった。

驪城君の思い出は、数限りなくある。しかしここでは紙面も持たぬし、私自身も今病床に居るので、何(いず)れ改めて自分の雑誌「人生創造」誌上で、目下執筆中の「自叙傳(じじょでん)」中で、心ゆくばかり会おうと思っている。

ただ二、三最も深い印象を書き附けて置こう。

青年時代の私に取って、最も楽しかったものの一つは、君から手紙を貰うことであった。君はいつも筆まめに、しかも美しい文章で、細かい感情を伝えてくれたものだ。

―― 人間の一生に、良い友人を持つということは、それ自身で自分の人生が豊かにされていることは云(い)うまでもないが、土地を異にして住んでいる時、その親しい友からなつかしい手紙を貰うことは、この上なく嬉しいものだ。私は驪城君の手紙を忘れることが出来ない。