数十年以前、自家製の栗は、山里の貴重なおやつとして重宝され、山林所有者の家々は栗林の手入れが行き届き、カタクリの自生には最適な環境となる里山が、維持されていた。
しかも、栗の木々がカタクリの群落の頭上一面に葉を繁らせ木漏れ日が優しく注ぎ込み、カタクリの繁茂を促し、初夏に地中深く球根だけが、来春まで永い眠りに就くのである。
カタクリの干し菜とじゃが芋の煮つけは、子供のころ母がよく調理していた懐かしい食べ物であったが、今はカタクリの干し菜はお目にかからない。
あの栗の林は下草を刈ることもなくなり、カタクリが一面に咲く風情は見ることも少ないし、「堅香子」を摘む子供たちの姿も見られない私の故郷は、限界集落と言われ、里山も荒廃してしまった。
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