序 哲学的観点とホルミシス効果

まず本論を進める前に哲学的に最も重要な観点を述べたい。

それはあらゆるものは変化し生成してきたものであるということである。

宇宙自身も生成してきたものであり、現在も静的ではなく膨張している。結果として、あらゆるものはそうでないものから生じることになる。なぜならそうでないとすれば、あるものが初めからそのものとして存在していたことになるからである。不滅なもの、変化しないものを哲学者たちは「実体」と名付けてきた。これが形而上学を成立させてきた。

だが、この「実体」なるものは哲学者の頭の中にしか存在しない。全ては生成し、変化してきたものだ。したがって、全ては別のもの、反対のものから生じざるを得ない。

だが、全く反対ということはもともとない。生命は無生物から生じるが、生と死は全く相反するわけではない。言い換えると全く相反する「生」と「死」という概念は幻想である。「形」も形のないものから生じた。だが、形のないものと言ってもその萌芽はあったのだ。つまり形があるともないとも言えるような矛盾したものから形は生じたのだ。

真空のゆらぎから宇宙が生成したように、全くの完全な無というのも存在しないからである。このようにあらゆるものは別のものから生成してきた。一見不変とも見える素粒子ですら生成してきた。

今日特別な存在だと思い込んでいる誇り高い生物である人間も二億年前はネズミのような夜行性の小型動物であった。あらゆる生物は同一の起源を持っているが、最も原始的な生命自体は生命のない物質から物理的・化学的法則に従って生じてきた(化学進化)。

このように最も原始的な生命から高度な知的能力を持つ人間に至るまで全ては同一の起源を持っており、数十億年の時を経て現在地球上で見られる実に多種多様な生物が生じるに至った。

こうした事実は重要な認識をもたらす。哲学的に見て最も重要なことは生命の発生において何ら神秘的な力が働いていないこと、知的生物である人類の登場に際しても、その途中過程においても何ら形而上的で神秘的なものが介在していないということである。この歴史的観点が極めて重要であるが、現在、哲学において最も欠落している観点でもある。

 

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