また、Marcelo(タンゴの先生)はSetsuko never stops dancing. Setsuko dances 9days a week.と言っていました。ミロンガと呼ばれるタンゴのパーティーでは、タンゴは私にとって最高の有酸素運動ととらえ、次々とパートナーを変えて、足がもつれるようになるまで踊り、もうダメと動けなくなると、サッサと帰宅していました。
Marceloがパートナーを失った時、練習の時以外は一緒に踊ったことはないのですが、大勢いるタンゴダンサーの中から私を選びました。保夫さんもなかなかのダンサーなのですが、嫉妬する様子は見せません。ビデオカメラでずーっと私の踊る姿を追っていました。
保夫さんと私のタンゴ・ワルツをクリスマスの時に大勢の前で披露する機会もありました。その映像は私の宝物となっています。タンゴを踊っている私の50代は体調はとても良かったです。今でもタンゴの仲間の様子をFacebookで知り、テネシー州に引っ越した日本びいきのダイアンと文通しています。
ある時久しぶりに、アルゼンチンタンゴを保夫さんに聴いてもらいたくて、入院先にタンゴのCDを持っていきました。部屋中にタンゴの曲があふれると、「歩ければタンゴは踊れるというから……。保夫さん、どう踊ってみない?」と誘ってみましたが、ちょっと無理。でも、嬉しそうな笑顔があふれ、久しぶりに保夫さんの得意な口笛が聞けました。
「アメリカでダンスして、タンゴまで踊って、楽しかったよね?」と聞くと、保夫さんは「うん」とはっきりうなずきました。良かったネ!!