◆娘の診断
娘は病院で診断を受ける前に、市の『発達クリニック』で仮診断を受けていました。発達クリニックでは、大きな病院から来た専門の医師が子どもと関わり、診察をします。
『発達が遅いようなので、暫く様子を見ましょう』となる子もいるようですが、娘について医師が言ったのは「確かに自閉傾向があります。大きな病院を紹介しましょう」でした。
その日の帰り道、私は放心状態で自宅に向かいました。転勤してきて間もない街だったため迷子になり、大きな木の並木道があまりにもきれいで車を止めました。後部座席では、娘も息子も疲れ果てて寝ています。
その様子をバックミラーで見ながら、出したこともないほど大声で泣きました。それでも起きない我が子たちを見て、これはこれから泣くこともままならない日々が待ち受けている私に与えられた、束の間のひとときなのかなと感じました。
明日から始まる不安な日々のために、用意された時間なのかもしれないと感じたのを覚えています。
家に帰ると、先ほど『自閉症の可能性が高い』と言われた娘が目の前で笑っていました。相変わらず目も合わせず、話しかけても無反応な娘です。
ただ、その日の朝と何も変わらず、テレビを見ながら笑っていました。
これまで、不安を抱えていた娘の成長に『自閉症』と言う名前がつきました。名前がついただけで、娘自身は、これまでと何も変わっていません。
翌日から私は、情報収集をはじめました。建前としては『娘のため』でしたが、本心は、自分を楽にするため、自分の不安を取り払うためでした。
日を置いて、紹介された病院で診察をうけました。『自閉症ですね』と告げられた後、『自閉症って何ですか?』と聞くと、『発達障害のひとつです』と返ってきました。
『治るのか?』
『治療によって緩和するのか?』
『これから、どうすればいいのか?』
聞きたいことはいっぱいあったけれど、泣いてはいけないと思って口を閉ざしました。
その後、作業療法士や言語聴覚士と娘が遊ぶ様子を、臨床心理士の方と一緒に見学しました。
そのとき、改めて『自閉症って何ですか?』と聞いてみました。
『お母さんは何だと思いますか?』と返ってきました。
悪気のない、いえ、むしろ配慮であったであろうその言葉に対し「これすら自分で考えなければならないのか」と感じ、また泣きそうになって口を閉ざしました。
あれから十年以上経過しましたが、当時からずっと尋ねたかったことが今になっても誰にも聞けていません。
『誰が、娘を助けてくれるんですか?』
『誰が、私を助けてくれるんですか?』と。
医療の世界も福祉の世界も、状況の変化が目まぐるしいので今のことは分かりません。ただ、今から10年前の私は、診断後に出口が見つけられず、一人でもがいていたように思います。
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