そんな静子の調子がおかしくなったのは真亜が中学生くらいの時だった。何日も寝なかったり、突然何日も帰ってこなくなったりした。

躁鬱(そううつ)のような症状で、鬱状態の時は真亜を眠らせないほど攻撃し、躁状態の時はどこかへ出かけてしまうのだ。

静子に処方された薬は、常人なら何日も寝てしまうような強い薬だった。

静子がそれを秀光のお茶に混ぜ、気づかずに飲んだ秀光が居眠り運転をして壁に激突したこともある。

真亜はそんな家庭で、心の浮き沈みをなくす術を身につけていった。

今で言うならばヤングケアラーだったのだろうが、家族として母の面倒を見るのは当たり前だと感じていた。

部活もせずに帰宅し、静子の様子を見ながらご飯を作っていた。

ただ作るのはつまらないし 美味しいものを作ろうと料理本を見ながら作るので 、もともと器用な彼の腕はどんどん上がっていった。

一方で、中高 一貫の私立からその上の大学に進んでも、勉強には身が入らなかった。秀光も静子の面倒を見させているという後ろめたさがあったのだろう、医者になれとは言わなくなった。

何も目標のなかった真亜は叔父、忠明(ただあき)の経営している製薬会社に勤めることになった。

忠明は跡継ぎがいなかったので将来は真亜に継がせたいという思いもあった。

当時はバブル真っ只中で、家に帰ると絵が増えていたり、証券会社の人が出入りしたり、不動産会社の人と静子が話し込んだりしていた。

ある時、忠明の会社がドイツの製薬会社と提携することになり、大学でドイツ語を勉強していた真亜が赴任することになった。

真亜は静子の面倒を見ているうちに喜怒哀楽がなくなっていた。

生きるって、朝起きてメシを食って、夜に寝ることだ、そう思っていた。

特に友達もいらなかったし、静子を見ていたからか、彼女を欲しいとも思わず、適当に遊ぶ女友達と飲み友達がいたら十分だった。

ドイツでの暮らしは想像していたより快適で、何よりも家族のことを考えなくなった解放感で真亜の心は軽くなっていた。