問い2 遊び
「子どもは遊んでばかりでいいねえ」と孫を見てうちの親が言ったりしますが、子どもの遊びと大人の遊びは違うのでしょうか?
乳幼児は遊んでいるわけじゃないけど、基本は仕事がないので、人生そのものが遊びになるんだ。
あまり高熱でなく元気な子どもさんが、うちのクリニックに来ると、僕は「昨日は何して遊んだの?」等と積極的に尋ねる事にしている。
世の中の人は、仕事をすることと対比して「遊ぶ」という言葉を何もしないでぶらぶらしているという意味に使う。ただ「遊ぶ」ってことはそういう意味じゃなくて自分のしたいことをして「楽しむ」ことなんだ。その時やっていることの中だけで完全に満ち足りている状態のことなんだね。
僕は医師になったけど、「仕事」が「生きていくそのもの」、つまり遊びになっている。それは医師の働き方改革などでは、決してできないことなんだ。その仕事そのものが遊びになっちゃったよ、という事だ。仕事が遊びのようにある程度、楽しんで満ち足りていればとても良い事だよね。
子ども、特に乳幼児は「生きていること」がすなわち仕事と言ってもいいので、食べてウンコを出す事はマストだけれど、それ以外は、何をしてもいいのだ。
子どもたちはただこれをやったらどうなるか?など考えたり、また考えなかったりして遊んでいるので(これが実に楽しそうにみえる、無目的の作業だからだね)、それを見ている大人は、乳幼児の所作を無邪気な遊びと捉えているのだけれど、乳幼児は遊びと思っていない。大人はその作業の純粋性に感動するんだろうね。
大人の仕事や行動はどうしても意味が伴ったり、また意味を求めたりする事が多い。
それは給料の生活費目当てだったり、社会貢献だったり、何か結果を求めてだったりするので、大人の仕事は、単に楽しく生きている事=本当の遊びにはならない。大人の遊びは、やはり仕事と対極の言葉になるけど、「そんな筈はないのだ」と思いたい。
本当は大人も、仕事も遊びもまぜまぜ、清濁併せ呑まなければいけないと思うのだ。「清濁併せ呑む」と、それは胃や脳の中で混濁になるけど、それはそういうものだ。その後、消化されたり、熟成したりして、ある程度の時間を経て、いわゆるプロの仕事人になっていくんだろうね。
【イチオシ記事】折角着た服はゆっくり脱がされ、力無く床に落ち互いの瞳に溺れた――私たちは溶ける様にベッドに沈んだ
【注目記事】「ええやん、妊娠せえへんから」…初めての経験は、生理中に終わった。――彼は茶道部室に私を連れ込み、中から鍵を閉め…