ティナは私の心を見透かしたかのような上目遣いを残して森の方へと走り去っていった。その先にマーティン家の末っ子にして長男のレイモンドの小さな体が見えたが、ナタリーの姿はどこにもなかった。ティナのいつもの「釣り」だったのだろう。何よりも彼らの言うスケートとは、靴のまま氷の上を滑るだけのことであったのだが。

私はようやく家に戻り、セントラルヒーティングの燃料の残量を確認すると、電話の前に立った。サイモン夫人には毎朝8時半ちょうどに朝の挨拶と、その日の調達物資を聞くために電話を入れることになっているのだ。

「おはようございます。ミセスサイモン!」

「おはよう、タカオ。今日もとても素晴らしい天気ね! そちらはどう?」

「ええ、こちらも青空が広がっています。たった今、散歩から戻ってきたところですが、気温は華氏23度、とても寒いです」

わずか5マイルほどしか離れていないにもかかわらず、サイモン夫人は必ずと言ってもよいほどにこちらの天気を尋ねてくる。そして、この後しばらく天気の話を続けるのが彼女の常であるのだが、これはこの町に住む人々共通の日課であるということを、私はここ数か月に及ぶ滞在で知ることとなった。

女性同士の会話であればこの後に続くのは、決まって人気ソープドラマの話題であった。

「今年の寒さはとにかく異常だわ。タカオも風邪をひかないようにね。ところで隣の家の子供たちが庭を荒らしたりはしていないでしょうね。あの母子家庭は皆、行儀というものを知らないのだから」

私はここに来て初めて、管理人として与えられた任務の一つが、この隣家の住人による「不法侵入」の監視であるということを知ったのであった。だが、そもそも彼女が言うような無作法な行いは見たことはなかったし、恐らくは老人特有の過剰な警戒心に起因するものだろうと、私は特段、気に掛けることもなかった。

今、私が住む古びた平屋を含む敷地はゆうに1万坪を超え、私は最後までその境界線がどこにあるのかすら知ることは出来なかった。いや、所有者であるサイモン老夫人に尋ねても、夫が亡くなるまでは今の3倍の広さはあった筈だと言いつつも、ただ肩をすくめるばかりであった。

「隣家の人々はとても静かです。ご心配なく。今日は何か必要なものは?」

「午後からすぐ近くで会合があり、そのあとはそこでのパーティに出席するだけだから、今日は何もいらないわ。車は自由に使ってちょうだい」

私の決して流暢とは言えない英語を見透かしたかのように、一方的なサイモン夫人の電話が切れ、私はようやく2杯目のコーヒーを口にすることが出来る。

 

👉『ナタリー』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】店を畳むという噂に足を運ぶと、「抱いて」と柔らかい体が絡んできて…

【注目記事】忌引きの理由は自殺だとは言えなかった…行方不明から1週間、父の体を発見した漁船は、父の故郷に近い地域の船だった。