その結果、桜田部屋で貧しいながらも機嫌良く生きていた、咲の人生が大きく変わることになった。
女将からの許可も得て、咲は女力士になる為の稽古を始めたのだが、稽古は順調には進まなかった。
そもそも、基本の稽古からして、中学生が行うレベルのものではなかったが、咲の尋常ではない我慢強さで、そちらは、二ヶ月程で問題無く行えるようになった。
だが、巴や坂額との実戦さながらの取組稽古では、回数を重ねても、咲は相撲の動きが出来なかった。
咲は、それまで運動経験が無かったこともあり、臨機応変に相手に対応することが出来なかった。
怪力の方も、中腰から持ち上げる力は強かったが、押したり引いたりする力は強くなかった。
そもそも、お化け羽釜を持ち上げられたのも、炊き上がった御飯を羽釜の上からよそおうとしたら、足を滑らせ、必死で羽釜の羽を摑んだら、持ち上げられそうだったので、試したら、持ち上がっただけであった。
土俵際で、相手を持ち上げる技術にしても、負けそうになって追い詰められて力が出た結果であった。
何時までも、組んで持ち上げる戦い方が通用するはずもないので、女将は攻め技も教えるが、そちらも、一向に上達はしなかった。
咲は、防衛能力は並外れて高かったが、攻撃能力は並外れて低かったのだ。
進展しない稽古に女将は苛(いら)つき、咲に怒号を浴びせ、その苛つきがピークを迎えると、左側に置いていたお玉を咲に投げつけた。
咲も、教えてもらった通りに動けない自分を情けなく思っている上に、女将から口汚く吠えられる状況に腹を立てていた。
道長の希望に応えられるように頑張っているのに、女将は、咲が女力士になるのを諦めさせる目的で、怒鳴っていると思うようになっていたのだ。
咲は、女将の投げたお玉を避けずに、おでこで受けて払い落とし、暫く女将と睨み合いになっていた。それを巴達が止めに入るという毎日を繰り返していた。
半年程、稽古を続け、二十歳以下の女相撲の大会に、咲は十六歳で出場することになった。
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