【前回の記事を読む】「エロ紫」と呼ばれるほど下ネタ的な話ばかりする人気力士の紫式部。今日は珍しく相撲の話をし始めて…
二
桜田部屋は女将(初代右近)が立ち上げた部屋で、最初の弟子の巴好子(ともえよしこ)と坂額美子(はんがくよしこ)の活躍で世間から注目され、それまでの巡業方式の興行から、本場所形態となる興行となった。
桜田部屋も多くの入門希望者が来たが、稽古の厳しさが尋常でなかったことから、巴達が廃業する頃には、弟子は誰も居ない状況になっていた。
女力士の居ない相撲部屋の経営は行き詰まり、借金が嵩(かさ)む状態になっていたので、その状況を改善するべく、巴と坂額は相撲部屋の炊事場を利用して、弁当を作って販売することにした。
巴と坂額は廃業しても熱心なファンが付いていてくれたので、本場所で弁当を販売すれば、それなりの売り上げは計算出来たし、地域のイベントにも弁当販売の要望があったので、借金利息返済や女将の生活費の足しにはなると考えての事業であった。
女将は、自分が手伝うと弁当が不味くなるだろうと言って、朝から酒を飲んでいた。
何時しか、女相撲関係者も桜田部屋は女相撲から撤退したと思っていた。
そのような状況にも拘わらず、女将は道長を引き取ることにしたのだ。
道長は脳の半分を切り取る手術を行った後の状態が悪く、寝たきりの状態になっていた為、母親は鬱病になっており、今後の育児に絶望していると言ったことを聞いた女将が「今から、そんなこと言うようなら育てるのは無理だろう。うちで引き取ろうか」という話になって、一度も子育てを経験していない女将が、道長を引き取ることになったのだ。
道長は桜田部屋に引き取られてから、生存本能が活性化したのか、驚異的な回復を見せ、半年後には学校へ通う程になっていた。
あんな状態だったのに、普通に会話するようになり、通学している道長を見て、女将も信じられないことだと驚き、道長の手術を行った病院に行って、手術を担当した医者に道長の回復ぶりを報告した。
その医者は、幼年期に脳を半分除去しても、失われた部分を補う能力が脳にはあり、早期回復して学校へ行き、社会人として生活している人もいるので、特殊なことではないと言った。
女将は、その話を聞いて「そうだとしても、回復が早すぎるだろう」と、思った。
見事に、子供を元気な状態(道長が元気であったことはないのだが)に戻せたということで女将は噂になり、その後も育児ノイローゼになった親から子供を引き取ってくれないかと要望されることもあったが、女将は断った。