第二章 若旦那

播磨屋仁兵衛襲名

鴻池で忙しく働く恭平に播磨屋から使いが来た。仁兵衛が重病で寝込んでいるので、一度見舞いに来てほしい、というのだ。大坂で唯一の親戚であり、後藤門下でも鴻池家でも保証人となってくれた恩人である。

内緒で学問の道を捨てたことは、未だに木之子の実家には知らせていないが、それで済んでいるのも仁兵衛のおかげだ。折に触れて、恭平は元気だとだけ伝えてくれているのである。その、恩人であり共犯者でもある母の伯父が倒れたのだ。知らせを受けた恭平は急いで播磨屋に向かった。

仁兵衛は薄暗い奥座敷で臥せっていた。恭平が枕元に座ると病人の懇願が始まった。

「もう、わしは長いことは無い。お医者さんも良い手立てがないとおっしゃる。それは寿命やから仕方ないが、心残りはこの播磨屋の身代や。うちには子が無い。どうや、恭平。お前は天下の鴻池新十郎様から直に商いを学んだ人間や。うちの養子になって、この家を継いでくれんか。それに、この家を継げば、いくら木之子へ仕送りしてもうても構わんよ」

とにかく仁兵衛の容態を心配してきたのだが、意外な展開である。しかし、恩人が瀕死の床から声を振り絞っているのを聴かないわけにはいかない。よく考えてみればありがたい話だ。そもそも商人の道を選んだ発端は、実家の困窮を救うためであったが、丁稚なのでまだ仕送りは実現していない。しかし、播磨屋の養子となれば別だ。第一、仁兵衛が仕送りを認めてくれている。

十六歳の恭平は、またしても両親に相談することなく第二の転機に身を投じた。万延元(一八六〇)年、鴻池を辞めて播磨屋の養子となり、仁三郎と改名した。

一方、木之子でも大きな動きがあった。恭平がいつ学問を修めて帰ってくるのか具体的な話が伝わってこないので、窪家の催促に応じて、恭平の九歳下の三男大三郎を出すと決めたのである。

恭平には上手く納得させてほしい、という使いが仁兵衛にもたらされた。思いもかけない解決であった。後継者問題が一気に片付いたことで心労が減ったのか、仁兵衛の病は見る見る回復していった。