一三七八年六月七日の祇園祭は、京都の人々に強烈な印象を残した。

何しろ、豪華に設けられた貴賓桟敷席から、二十歳の将軍にして新権大納言である義満が、十五歳の能役者世阿弥を隣に侍らせて祭りを見物したのだから。同じ桟敷席の公家や有力守護達は、興味津々の面持ちで二人を注視していた。

実はこの頃誰もが義満の世阿弥に対する寵愛振りを知っていて、義満のご機嫌を取る為に競って世阿弥に高価な贈り物を送り付けていたのだった。

「四月の二条良基殿の連歌会では、世阿弥殿の句に誠驚かされました。能役者の作とはとても思われぬ、素晴らしい出来栄えでした」

公家の一人がお追従のつもりで義満に話し掛けた。

「能役者の作とは思われぬ、とは失礼ではあるまいか。身分や職業で人を測るものでは無い、勝るをもうらやまざれ、劣るをも卑しむな、という諺をご存知無いかな」

義満の冷ややかな言葉に当の公家は震え上がった。

「恐れ入って御座います。と、とんだご無礼を。只、私めは……」

「只、能役者に偏見を持っていただけ、という事じゃな。良いか、仏の前では一切平等、確かそうでしたな、御僧」

卑屈な公家に少し苛立った義満は、隣の高僧に語り掛けた。

「流石権大納言殿、仰せの通りに御座います。悉皆(しっかい)平等、み仏の前には上も下も御座いません。この様な若き賢者を将軍に持つ我らは誠、果報者で御座いますな」

 

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